薬物、覚せい剤等の依存症は脳内にたまった薬の残留物によりフラッシュバックが起こりまた薬が欲しくなるという悪循環を繰り返します。この連鎖を断ち切るためにアスカクリニックでは独自のデトックスを開発し効果を上げてきました。

しかし、薬物供給を商売とする人達にとっては、これは,はなはだ都合が悪い事なので、某新聞等でアスカクリニックに対する事実無根の誹謗中傷記事を載せ、営業妨害をするようになりました。

 

薬物産業が裏の国際産業として絶対的な位置を占める中で、依存症になってしまった人達のリハビリ、療法は第2次世界大戦直後から殆ど進歩していないということを皆さんに知って頂きたく、ここに世界の薬物に関する実情を掲載いたします。それにより、薬害で苦しんでいるひとりでも多くの人達が、心身ともに健康を取り戻したいという思いを持ってくださればと思います。

                                                                  理事長 山中 秀

 

 

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グローバルな視野から見た薬物問題

                                                   事務局 橘 美代子

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はじめに

2012年2月11日世界の歌姫ホイットニーヒューストンが48歳の若さで亡くなったというニュースが飛び込んできました。薬物依存症の為、リハビリに出たり入ったりを繰り返していたということで、マイケル ジャクソンにしてもホイットニー ヒューストンにしても芸能界のトップの座についている人達は、孤独でプレッシャーも大きいから薬物に手を出すのだろうというようなコメントが、大半を占めていました。 それにしても、なぜ麻薬の危険性が繰り返し繰り返し叫ばれているのに、麻薬使用者が後を絶たないのでしょう? こんな疑問から、麻薬に関して情報を集めている最中にこのニュースに接し、この問題にはうかがい知れない深い部分が、幾層にもなって横たわり、彼らはその闇に押しつぶされてしまった犠牲者なのだ、と深いため息がこぼれました。

アメリカでも日本でも、薬物は芸能界や、マフィア、ギャングだけが関係しているものだと思っている人が多いようですが、本当にそうなのでしょうか? 芸能界の薬物の犠牲者は氷山の一角にすぎないと言ったら、信じる人はどれほどいるでしょうか? 世界のあちらこちらで起きている薬物に絡んだ組織的犯-罪は、何の関連もなく勃発的に起きているのでしょうか? 

こんな疑問を持ちながらリサーチを続けていくうちに、この問題はそんな簡単なものではない事、そして、どのようにして世界的な薬物問題が今日のような事態に至ったのかが、あちらこちらに散在する情報を引き出して見比べてみると、ばらばらだったはずの情報がジグソーパズルを完成するかのようにはめ込まれる位置が出て来て絵になって見えてきました。薬物の灰色の霧が世界を覆うどころか、隅々まで浸み込んでいます。

私たちはそのような忌々しき歴史の上に立ち、引き継がれた時の壁の中で生かされています。世界の薬物問題は対岸の火ではなく、私たち一人一人が考えていかなければならない問題なのだということを深く考えさせられました。 自然を保護し美しい地球を私たちの子供、孫にというキャンペーンはよく聞かれます。でもこの世界中の人々の心身を蝕む薬物問題を真剣に取り上げなければ、「臭いものにはふたをしろ」的感覚の中で、自分の周りだけの綺麗事だけで、自己満足していては本当に美しい地球は還ってこないのです。

 

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リハビリ

 

「薬物依存、治療と保護」と題するUNODC(国連薬物犯罪対策委員会) とHWO(世界保健機構)の共同出版物によれば、世界的に大きな問題になっておりその悪化が続いている薬物依存症者に対する対策は十分というには程遠い状態です。薬物と政治の裏側での関わり合いからなぜそうなのか説明がつきますが、これについては歴史の項目でのべさせていただきます。アメリカの政府が、一度も薬物乱用、依存問題に優先権を与えたことがない理由はアメリカの関わりの部分を読んでいただければ、明白です。そしてこの薬物生産密輸業が莫大な利益をもたらす限り被害者は増え続けるでしょう。

一番最近の推定では、世界の205,000,000人(2億5百万人)が違法薬物を使用し,25,000,000人(2千5百万人)が依存症者です。(これは、合法薬物の依存症者の数は含んでいないので、実際薬物依存症にかかっている人数ははるかに多いはずです。)

アメリカ合衆国は世界で最も薬物の利用者が多く、薬物関連犯罪者で刑務所は満員という状況を抱えています。そして、国民(12歳以上)の内、違法薬物またはアルコール使用による問題を持ち治療が必要な人口が、2320万人 (人口の9.4%)で、そのうち治療を受けたのは10.4%だけで、残りの2080万人 (12歳以上の人口の 8.4%)が治療が必要なのに受けていないという状態です。

インターネットには州,市により、または郵便番号により薬物依存症者、乱用者のためのリハビリ施設がすぐに分かるリストがあります。NIDA( 薬物乱用に関する国立研究所)では、以下をアメリカ国内での薬物乱用者、依存症者のリハビリの原則としています。

リハビリの基本的な治療は、1)依存症は複雑な原因、要素を持っていますが、治療可能な病気である、という前提に立っています。2)複雑なゆえ、誰にでも当てはまるひとつの治療法というのはありません。3)このような施設は、薬物乱用者、依存症者自身は治療に関し、緊急性を感じていない場合が多いので、即座に治療を始められる体制をもっていなければなりません。4)治療は薬物乱用そのものばかりでなく患者の多様な必要性に対し効果的に対処できるものであることが必要です。5)治療をある期間続けさせることが重要なポイントとなります。 6)グループまたは個人での日常生活上の行動 、社会的適応性に関してのセラピーが必要です。7)薬品投与は治療の重要な部分です。8)患者の必要性に関して、常に評価,判定が行われ患者の変化に適した対応ができなければなりません。9)依存症患者の多くは他の精神障害がある場合が多いことを念頭においておくことも必要です。ほかにHIV,AIDS,B型肝炎,C型肝炎に感染しているかどうかを把握する必要があります,などの項目がありますが、ここで私どもが皆さんに注意を払っていただきたいのは、次の項目です。

10)薬物投与を伴うデトックスは、最初のステージで、それだけでは、長期の薬物乱用再発を防ぐには効果がありません。

故に通常、治療は、3段構えで、デトックス、リハビリ、アフターケアーと長期間にわたるプログラムになっています。そして、成功率についてはみな曖昧です。

しかしこの場合のデトックスとは、乱用していた薬物と同種のものを使い禁断症状を招かないようにして少しずつ減らすというものです。オピオイド系の薬物乱用の場合は、メタドンを使います。鬱誘発系、ディプレッサントの乱用の場合は、バルビツレートを使います。

アメリカで一般的な依存症治療に使われる薬物は以下のとおりです。

オピウム系の依存症の場合  Methadone, Buprenorphine, Naltrexone

アルコールと薬物依存症の場合  Naltrexone, Disulfiram, Acamprosate

 

そのようなリハビリ施設では、医療プログラムの他、規模の大小により次のようなプログラム、サービスが用意されています。

1)職業訓練、就職カウンセリング 2)法律相談、援助 3)読み書き訓練4)親子関係改善訓練 5)家族セラピー 6)託児所 7)社会福祉サービス8)精神鑑定 9)精神障害治療 10)社会性訓練 11)家族計画(避妊計画)

以上から見て、薬物依存症患者は、社会の恵まれない層からの人たちが多いことが暗に示されています。家庭環境から薬物に縁が深かった人たちです。しかし、イギリスもそうですが(National Geographic DVD           )、経済的に余裕のある層では、レジャーとして、薬物を楽しむ傾向が広がっており、週末の集まりとか、仕事のストレス解消のためという人たちもいます。また、ティーンエイジャー達の場合、好奇心からという場合が多く、ニューヨーク市などでは、中流階級の子弟の多くは私立の小、中、高校に行く場合が多いのですが、それらの学校内でも薬物が大きな問題となっています。

又、「戦争製造機械」というあだ名をつけてアメリカが戦争をすることで成り立っていることを本にした学者もいますが、アメリカでは、多数の兵役経験者たちが依存症になるという特有のケース (NIDAの発表による)に当てはまる人たちが沢山います。

アメリカ軍の兵役に参加して、実際の戦闘を直接経験した薬物のリハビリが必要な人たちへの対策を立てる中で以下のような調査結果が出ています。

米国政府機関の軍の被雇用者(過去10年)からサンプリングをして調査をした結果、リザーブ ナショナルガード国家防衛隊予備軍、サービスメンバーの若い隊員たちで実戦に参加した兵士たちはアルコールの大量摂取、泥酔の習慣性が出てきたり、他の飲酒問題を引き起こす傾向がある。また喫煙を始めたり、ニコチン依存を再開したりする傾向が、実戦の前、最中、後に特に起きている、ということです。

NIDA  は帰国した兵士たちが、薬物治療がより容易に受けられるようにしたり、薬物裁判所(普通の刑法による処罰でなく、薬物患者として被告を扱う特別に設置された裁判所)の利用により乱用者を刑務所ではなく(強制的ではあるが)治療施設に送る方法を推進しています。現在この種の裁判所が20州に65箇所設けられています。(NIDA発表)

以上はアメリカ国内の対策ですが、国連でもUNODC(国連薬物犯罪対策委員会)が、2009年ウィーンに研究者、政策計画者、現場の治療側の人達を集めて、薬物依存症者を刑事犯罪のプロセスからはずして、治療施設への収容に向けたプログラムのモデルを作成しています。

NIDAの調査によれば、アメリカでは、10人に一人の割りで、高校の最高学年の生徒たちは、処方箋により得られる鎮痛剤Vicodin(ハイドロコデインとアセトアミノフェンの合剤)を医療目的以外に使ったことがあると述べています。

アメリカでは、いくらリハビリ施設を設けてもそれを利用する患者が少ないというのは、リハビリの効果が無いとの認識が広くあるからではないでしょうか?依存症を引き起こした薬物と同種の薬物を与えそれを少量にしていくというのは、マイナスからゼロにするだけで、健康な肉体に戻すには、もっと積極的な健康感を与え、薬物の影響の無い体のほうが快適だと思うような肉体にしなければなりません。そうでなければある薬物の依存症者は他の薬物の依存症者になるというだけで依存症者が増える一方です。しかし、主要な生死に関わる病気の場合もそうですが、アメリカでは人工的な薬物に頼る傾向が強く、依存症から他の依存症へという悪循環が生まれる可能性は大いにあります。これは、アメリカでは広く取り入れられている催眠術による治療の場合も同じです。

ですから、依存症の治療には、化学薬品であっても、健康を増進するような薬剤投与を行わなければなりません。

アジアのほとんどの国では厳しい取締りで薬物使用者を減らそうという古い方法しかとられていません。

インターネットでは世界の主要な薬物密輸流通国であるタイではリハビリといってもリゾートといった感じの豪華版で5000ドルのリハビリという宣伝が出てきます。

これはリハビリの需要の広さに眼を付けた新しいビジネスで治癒と結びつく保証は何もありません。それにこのような豪華版リハビリをする経済力と時間のある人は世界でもほんの一握りしかいないでしょう。

 

ヨーロッパのリハビリの状況

EU加盟国全てにおいて、メタドンを使ったOST (オピウム代替物治療)が行われています。これが、オピウム系の薬物乱用者のための主要な治療方法となっています。これは、多くの中央、東南ヨーロッパの国々で現在ある治療法の中で一番効果的とされ、それに精神療法を加えたプログラムが使われています。しかし長期的なフォローアップを必要とする治癒率等の数字はありません。

アメリカでも薬物消費でアメリカと並ぶ成長率を示しているヨーロッパでも、治療施設の必要性に応えて施設がたくさん出来ていますが、アメリカと同様昔と変わらない治療法しか行われていません。

 

オーストラリア、アフリカ、その他

オーストラリア

1966年に設立されてから、自称、70%の成功率を誇るリハビリプログラムがあります。Narconon International という組織によるもので、アリゾナの刑務所でL.Ron Hubbardの本を読んだヘロイン依存症のウィリアムベニテズと他の囚人たちがその原則を自分たちで守り、完全にヘロイン依存症から立ち直る事が出来ました。その経験に基づいて開発されたのが,ナルコノン プログラムで、現在では世界に120の薬物防止、薬物のない社会への教育、リハビリテーションセンターに発展しています。 非営利公共福祉団体として何千人という多数の依存症者のリハビリに成功していると主張しています。アフリカではこのプログラムが主流で、南アフリカ共和国にはケープタウン、ムーリースバーグ、ヨハネスブルグにナルコノンリハビリセンターがあります。其のほか、ガーナには、ナルコノンの予防センターがあり、エジプトのカイロにもリハビリセンターがあります。アメリカのナルコノンセンターのサイトでは、ロシア語、イタリア語、フランス語、アラビア語、スペイン語の出版物が入手できるようになっていることが示されており、1966年以来薬物の歴史とこの団体が歩みをともにしてきたことが推察できます。

このプログラムに基づいたオーストラリアのリハビリテーションセンターでは、麻薬を他の麻薬にすり替えるのではなく、自然な治療を提唱し、そのデトックスの一部にはサウナ風呂があり、体の色々な部分の麻薬の残存物を取り除くことが証明されているとのことです。ここでは、それに加え、栄養補給をし、身体の健康の増進を図ります。このプログラムの利点は、精神的なサポートに加え実質的な身体の健全化を目指しているところにあると思います。しかし完全治癒に2年かかるとあり、それだけの時間と経済力のある人は少ないと思われますが、それだけではなく、ここで完全治癒と言っている2年はこの治療法では不十分です。人間の細胞がすべて新しく変わるのに3年かかりますから、自然に治癒するには3年かかります。そして身体の色々な部分に残った薬物は取り払われるかもしれませんが、脳に残っている薬物反応回路がなくなるという保証はどこにもありません。ですからここに、もう一つ加わるべきなのが、脳の神経組織の中にある薬物の残存物質を取り除くことだと思います。しかもそれを効率よく短時間で行う事が出来ればもっとずっと多くの人たちが利用できるでしょう。

 

日本のリハビリの現状

日本の薬物乱用に関して、警察庁の統計による犯罪に現れた状況をあとで見てみますが、他の国同様、公の数字に出てくるのはほんの一部に過ぎず、実際の薬物乱用者数は、経験者を中心にその人たちの立場に立った組織が急速に増えていることから、如何に多いかがうかがえます。

日本では、麻薬乱用防止に関しては、政府機関、地方自治体の活動としては予防を呼びかけるほか、全国に精神保健福祉センターを設け依存症者とその家族の相談に当たっています。政府機関のサイトが民間の関連自助団体を全てリストアップしています。民間の弁護士や精神科医がサイトを持っているほか、依存症経験者の連帯による、主要な自助団体、ダルク(ドラッグリハビリテーションセンター)が各地にできていろいろな活動をしています。ダルクは回復した人たちがスタッフとなって運営されており、入寮型、通所型、両方、女性専用など、対応に幅がある施設ができています。全国各地に60箇所以上が電話番号を沿えてリストアップされています。また、このアルコール薬物問題全国市民協会(ASK)のサイトには、各県の精神保健福祉センターのほか一般の相談所がリストアップされています。それに加え、同じ悩みを持つ薬物依存症の人たちがお互いに付け合うための集まりに関する情報もあります。しかし、これらのリストには、精神科関係はあっても、身体(特に脳のハードウェア)の治療の医療関係は載っていません。(ASK site address: http://www.ask.or.jp/index.html)

厚生労働省の「ご家族の薬物問題でお困りの方へ」と題する最近の出版物には、薬物依存症とはどのようなものか、家庭で見られる問題となる行動の例などを含めて分かり易く説明し、家族にもたらす影響、家族には何ができるか、などをわかりやすくイラスト入りで説明しています。そして、援助組織を詳しくリストにしています。

その中で、脳は元の状態に戻らない、依存症が完全に治る事は無いと言及していますが,私どものクリニックの加療例では、薬物にもよりますが、脳が元の状態に戻りますし、完全治癒もあり、そのようなケースでは通常の社会復帰という結果を得ています。また、私どものクリニックでは、ダルクをフルに活用してサポートしてくれるようなファミリー が無い依存症患者が多いのですが、クリニック全体がそのファミリーの役目を一部果たしており、薬剤と精神治療を本人に直接同時に提供しています。

前にも言及しましたが、アメリカでも日本でも、健康的な肉体を取り戻す医療面が十分加えられていないのが現状です。

アメリカでは、薬を飲めば即座によくなるという薬信仰があるので、鎮痛剤などがはやってしまい、原因の追究や、個人個人の習慣や遺伝的傾向などは無視されがちで、しかも医者はファミリードクターといったような患者の歴史を一世代を超えて知っているような医者はなく、患者個人のヒストリーも知らないというのが普通になっています。医療体制としては部門が細かく分かれ、医者は自分の専門分野しか扱わず、その時の身体の部分的な症状を取り除く薬物投与がされます。診断は、間違った場合訴訟になることを恐れ、疑問があるようなことは一切含めません。従って鎮痛剤だけが処方薬ということも珍しくありません。テレビには絶えず、薬の目的は違ってもこの薬を飲めば幸せが訪れるかのような宣伝が流され、法律で決められているので副作用に関して後から延々と述べられますが、第一印象から、自分は何もせず、医師に任せて薬に頼るほうが安易で確実であるかのような錯覚を起こさせます。老人ホームでは、高齢者の住人たちは異なった専門医何人からも薬をもらい、毎日何種類もの錠剤を飲観どれが何なのか自分でもわからない人が多く、医者同士の横の連絡が必ずしも取れておらず、薬と薬があわなかったため副作用でまたどこかが悪くなるという悪循環が起きることもしばしばです。このような環境に育ったアメリカ人が気分が悪ければ薬で、と安易に薬物に手を出す傾向にあるのに比べ、日本ではそのような習慣は無いので、薬物乱用はそれほど広がらないと考えがちですが、経済成長とともに、共稼ぎが増え、近所、家族内のつながりが弱まり、古い世代と若い世代の交流が少なくなり、若い世代は老いた、経験豊かな人たちの知恵を授かることも無く、自分たちの世代の社会が全てのような錯覚を起こす環境ができてきています。そんな中で合法違法の薬物がはやるのは容易に想像がつきます。

アメリカを含め世界でおこなわれている療法では、回りの励ましを得ながら我慢をして薬がいらなくなるのを待つというのが基本です。日本でも治療は同じパターンで行われています。伝統、習慣から、依存症者に課せられる我慢の重荷は日本の場合、欧米社会に比べて遥かに大きく成功率は高いかもしれません。しかし、我慢だけで立ち直るのは、身体、特に脳にその習慣が残っている場合、拷問に等しいでしょう。

ここで本当に必要なのは、脳から残存物質を一掃し、習慣を取り去り、薬物の影響の無いさわやかな肉体の健康感を経験して、前向きに物事を考えるられる心身を取り戻すことです。

ここで私ども、薬物乱用防止保護協会は、実際にその効果が証明されている代替物質を使うことをせずに、体内の残存薬物を流し去る医学的療法の側面を上記の現在の日本のリハビリ体制に加えることが必須であると思います。

 

 

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薬物政策に関する世界委員会」からの最近の提言

 

薬物に関して国際的に権威ある組織が2011年6月にかなりのインパクトを与えると考えられる報告書とそれに基づいた提言を発表しました。組織の名は「薬物政策に関する世界委員会」Global Commission on Drug Policy です。

 

この組織は、ブラジル前大統領フェルナンド エンリクェ カルドソを議長に、前米国国務長官,ジョージ シュルツ、メキシコ前大統領アーネスト ゼディロ、コロンビア前大統領シーザー ガビリア、前国連事務総長コフィ アナン等、世界の錚々たるメンバーを委員としています。そしてこのレポートは冒頭にこれまでの薬物政策は失敗であったとの爆弾的な宣言をし、11項目の提言を行うものです。

 

以下は、その概略です。

厳しい政策をとって、いくら薬物を法で禁止して薬物使用者、薬物売買者などを取り締まっても効果はありませんでした。この数十年間数千万人を逮捕し、拘禁施設は満員になっても違法薬物は減少せず、薬物犯罪組織の勢力も衰えませんでした。

 

国連の推定によれば、世界の薬物使用量(薬物市場の)拡大が見られます。

(1998--2008)

     オピウム       コカイン     カナビス(マリファナ)

1998   12.9 ミリオン    13.4       147.4

2008   17.35        17        160

 

%増加   34.5%       27%       8.5%

 

50年前に国連が薬物対策会議を開き、米国のニクソン大統領が40年前薬物に対する戦いを宣言した時、その対策は法律を厳しくすることにより問題解決を図ることができるとの予測に基づいていました。しかし、これまでの研究結果では、薬物使用を違法にして刑罰を与えても使用は減りませんでした。又、逆に薬物を合法化しても、薬物の使用者数は増えませんでした。その一方、薬物使用者を犯罪者として扱うより、治療が必要な患者として扱かった方が、犯罪者数を減少させるという結果がでました。それに基づき以下を提言します。

 

提言1) タブーを切り崩し、公開討議をし、薬物消費を効果的に減らす政策、薬物使用と薬物禁止法に関連して起こる害、弊害を防止し軽減する政策を推進する。

異なった政策やプログラムのインパクトとなるようなリサーチと分析への投資を増やすべき。

 

提言2) 薬物使用者を犯罪者として罰する代わりに、必要な者には健康治療サービスを提供する。

 

提言3)薬物犯罪組織から市民を守り、このような組織の力をそぐような法律規則のモデルを作るなどして(大麻の場合、)政府がこれを試すよう奨励すべき。

 

提言4)より有効な指針、測定法を設置し、ゴールを設定して、進行状態を測れるようにする。

 

提言5)薬物市場、薬物使用、薬物依存症に関する一般的な誤解を強化しないで、それに挑戦する。

 

提言6)(其れが効果的でないという証拠があるにもかかわらず) 取り締まり強化に殆どの力と予算を費やしている国々は、薬物市場に伴う害を減らすため、薬物犯罪組織に弾圧を加えることに焦点を当てるべき。

 

提言7)小規模、又は初犯のディーラーに対する刑罰を他のものに置き換えることを推進する。

 

提言8)若い世代に特に焦点を当て、効果があるという証拠に基づいた予防対策の源泉への投資を増やすべき。

 

提言9)代替物、ヘロイン補助治療を含み、薬物依存症に対する治療や保護に関しより広範囲でアクセスし易い幅広い選択肢を提供すべき、 その際特に刑務所やその他の拘禁施設収容の危険性の高い人たちに注意を払うべき。

 

提言10)国連は、システム化した世界的な薬物政策の立て直しにおいて指導的立場をとらなければならない。これは、自分の国の事情に適切に対応した需要に応える薬物政策を立てるのに、証拠立てられた有効なアプローチを勧めること、国連内のいろいろな機構、方針、会議等の横のつながり関係において確実に了解ができているようにすることを意味する。

 

提言11) 緊急なアクションが必要。薬物に対する戦略は失敗しているので、今すぐに政策を変えなければなりません。

 

以上の提言はすべて最近の研究結果に基づきなされたものです。

麻薬使用者を犯罪者として視るのではなく、患者として視るべきという、以前のアプローチに比べ、はるかに人道的で前向きのアプローチを推奨するのは、いくつかのケーススタディの明白な結果があるからです。

 

その1 スイスの場合

1980年代に国内全体に薬物の問題が目立ってきた時、ヘロイン代替物プログラムを含む新しい政策とプログラムを実施しました。これはヘロインの闇市場の30から60パーセントの需要を形成しているヘビーユーザーで、彼らは、薬物売買やその他の違法行為に深くかかわっている層を対象に行われました。この実施をコンスタントに行った結果、3つの側面での効果を得た。1)薬物の闇市場の縮小が達成され、1990年に新しい中毒者は850人だったのが、2005年には150人と大幅に減少した。2)プログラム参加者による窃盗などの犯罪が90%減少した。 3)地域内の中毒者やディーラーがいなくなったことで、気軽に薬物を使う消費者が薬物販売者とコンタクトできなくなった。

 

その2 英国の場合

収監から治療プログラムへの変更による変化を追ったリサーチで治療の後、犯罪が減っている。自主的な報告書に加え警察の記録あらこの結果を得ている。治療プログラムを採用する前年と比較すると薬物使用者による犯罪の数が48%減少した。

 

その3 オランダの場合

EU15か国中、オランダのヘロイン注射使用者の数は最も少ないが、新しい使用者増加がない。問題となるようなヘロイン使用者の数には明らかな減少がみられ、使用者の平均年齢も高くなっている。医療措置としてヘロインを処方することにより、軽犯罪や公衆への迷惑な行為が減り、依存症から抜け出そうとしている人達自身の健康状態にも良好な影響を与えている。オランダの依存症患者の数は、2001年には、28-30,000だったのが2008年には18,000に減った。

 

提言2に関して

薬物使用を犯罪としない方向での政策は薬物使用増加を招いていない。という研究結果が出ている。

 

1.      ポルトガルの場合

2001年7月 ポルトガルは、すべての不法薬物使用、所持を不法行為から除く最初のヨーロッパの国となった。不法薬物使用とそれに関連する犯罪を増加させるとしてこの政策を批判する人たちは、沢山いたが、 ケント大学の教授2人の追跡調査により、その事実が全くないことが判明した。又最近になってからも前述の研究結果を確認するものが出ているが出ている。

 

しかし、2010年のハフスアンドスティーヴェンスの報告書では、消費量は過去10年わずかながら増加しているが、その率は、薬物使用、所持を犯罪とする国々のそれと変わらない。研究結果によれば、この薬物使用、所持合法化と刑罰に代わる治療プログラムの導入は、全体的に観て、薬物取締機関の重荷を減らすことになり、薬物使用による問題の量を減少させた。

 

2  オランダと米国の都市を比較した場合

   二つの大きく異なった法的環境を比較。

オランダは、1970年代からマリファを吸えるカフェがあり、事実上合法的に消費できるが、サンフランシスコでは、マリファナ使用を犯罪とする。この2つの環境における薬物の消費量は、非常に似通っており、法律を厳しくした方が、消費量が少ないという結果はでなかった。

 

提言3に関連して、

薬物使用、依存症、薬物市場、にかんし人々がもっている間違った認識を強化するのでなく挑戦する方向に進むべきとし、以下のような証拠立てられた事実でありながら認識されていないことがあるとしている。

 

@ 薬物使用者の大半は、ステレオタイプにみられる異常者や哀れな中毒者ではない。世界中の薬物使用者2億5千万人(推定)のうち、国連の推定では依存症,または問題となる使用者に分類される人たちは10%に満たない。

@ コカとか、けしとかマリファナを栽培している人たちのほとんどは、貧しく家族を支えるのがやっとという生活をしている小規模の農家の人たち。彼らの唯一の生活の手段を破壊するより、それに代わる生計を立てる手段を得る機会を与えるべき。

個人の薬物使用のきっかけとなる要因としては、ファッション、仲間、同僚、同級生等の影響、社会、経済状況などがある。これらの要因の方が、薬物の法的位置、検査による発覚の恐れ、国の予防呼びかけなどより影響が強い。

@ 依存症、または問題となる薬物使用状況に発展させる要因は子供のころのトラウマ、放置、困窮生活、社会的な疎外状況、情緒問題との関連が深く、道徳的な弱さとか快楽主義との関係はむしろ稀薄。

@ 依存症者を脅したり罰したりすることで依存から立ち直らせることはできない。有効であることが証拠立てられている治療の適切なもので、依存症者の行動を変えることができ、彼らを地域社会の活動的生産的メンバーとすることは可能である。

@ 薬物流通にかかわる人たちのほとんどは、末端の小規模ディーラーで、ステレオタイプにある、映画に出てくるギャングたちではない。 この罪で捕まって服役している人たちのほとんどは 大物ではなく、強制的に運び屋や売人にさせられている場合が多く、彼らは、すぐにでも他の人と

置き換えられる存在で、薬物供給ビジネスには何の支障もきたさない。

 

以上を踏まえて、政府とメディアがもっと円熟した幅広い公平な論議を繰り広げ、一般大衆が事実をより良く理解するよう促すべきで、特に薬物生産に携わるファミリー、使用者、家族、依存症者の声を聴いてもらうことで薬物事情に対する、偽り、誤解を打ち破る方向に大衆が向かうようにすべき。

 

6に関連して、供給を減らす努力は、少数の流通組織が供給源となっている新しいまだ未開発の市場では、適切に採用された方法でターゲットを定めて取締りを行うことは新しい市場の芽を摘むには有効で、西アフリカではそのような状況が存在する。その一方、市場が多様性を持ちしっかり根付いているところでは、供給源を断つことにより薬物使用を予防しようとすることは現実的ではない。

たった2-3年の間に、西アフリカは、コカインの主要な運送及び再梱包のポイントとなった。これはラテンアメリカの薬物シンジケートがヨーロッパの市場に向けて戦略的なシフトを行ったもので、政府の統制力の弱さとはびこる貧困を利用したものである。麻薬産業が政府内にはびこり軍隊の劣化、マネーローンダリングなどが行われている。犯罪ネットワークは拡大しており、武器を持ったグループが出現しており、西アフリカの政府指導者の早急な対応が国際的な技術、財政援助を受けて行われるべき。

しかし、メキシコで見られるように、取り締まり強化がギャングたちの殺人その他の暴力事件をより多く発生させている。これは、アメリカ合衆国、オーストラリアのシドニーでも英国でも、同じ結果が出ている。

 

以上が世界が抱える薬物問題の最新の現状報告と対策への提案で、すでに世界各地でこの提言に基づき、人道的な立場から増加する薬物依存症者の立場に立った保護、防止対策が世界各地で開始、発展しています。

 

次の章では、世界の薬物問題がこのように発展して来た道を歴史をさかのぼってみていきたいと思います。そうすることにより、私たちは、私たち自身がどのようなかかわりを持って来たのかが、おのずと浮かび上がって来るのではないかと思います。

 

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世界の薬物問題の現状

 

UNODC(国連薬物犯罪対策委員会)は国連の世界薬物問題と犯罪の予防活動を国連加盟国と協力して行う最も権威のある国際組織です。以下は同組織による世界の薬物問題の現状に関する最新のレポートからの抜粋です。

UNODC  2010 レポート

最近の薬物市場では新しい薬物が出て消費も新しい薬物に移行しています。アフガニスタンのオピウムと アンデスのコカインの栽培は減少傾向にあり、先進国における薬物使用は、横ばいですが、発展途上国における薬物使用は増加しており、世界中で、アンフェタミンタイプの刺激剤(興奮剤)と処方箋薬物の乱用が増えています。

過去2年間で、世界のオピウム栽培面積は23%減っています。コカイン栽培も過去10年で28%減っています。2009年のヘロインの生産可能性総量675トンと13%減少しています。これは、アフガニスタン、ミャンマー両国での生産の減少によるところが大きいといえます。そして、実際市場に出る量は430トンとはるかに少なくなっています。それは、オピウムの世界の年間需要の2,5倍に当たるアフガニスタンのオピウムが、12000トン以上が倉庫に積み上げられているからです。

過去数年でアメリカのコカイン消費は著しく減少し、ある程度の薬物問題は大西洋を渡ってヨーロッパに移行しています。ヨーロッパのコカイン消費者の数は過去10年で2倍、1998年の2百万人から2008年の4百1千万人に増えています。そしてヨーロッパの市場は340億ドルと、アメリカの370億ドルとほぼ肩を並べるまでになっています。需要がヨーロッパへと移ってきたことにより、コカインの流通ルートもアンデス地方から西アフリカを経てヨーロッパに入るというパターンに変わってきました。

世界全体としては、アンフェタミン系の興奮剤の使用者が増えて3千万ー4千万人となり、オピウム、コカイン使用者合わせての合計を間もなく超える勢いです。 それに加え、処方箋薬物の乱用が増加しています。これは簡単に解決できる問題ではありません。この種の薬物は、消費者市場の近くで製造され、取り締まり側が追いつく前に新しい覚せい剤を開発しているというのが現状です。また、それぞれの需要に合うよう作られマーケッティングはとても巧妙です。

アンフェタミン系の薬物を製造する所が増え、今までそのような製造所が無かった国々にも出来はじめ2008年には20%も増加しました。エクスタシーは、北アメリカ特にカナダで、そしてアジアの数箇所にもでてきており、アジアでの消費も増えています。一方2006年以来ヨーロッパでのエクスタシーの使用は急激に減っています。

マリファナ類は依然として世界最大の栽培と消費を誇っており、世界のほとんどの国で栽培されています。1億3千万から1億9千万人が1年に一度はマリファナ類を吸っているという数字が出ています。しかし、マリファナ類が一番高く売られていた北アメリカとヨーロッパのある部分では、消費が減っており、ここでも薬物乱用のパターンが移り変わっていることが示されています。

UNODCの調べでは商業用の屋内でのマリファナ類栽培が行われている国は29カ国に達し、特に、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカでは盛んに行われています。屋内栽培は利益が高く、犯罪組織の重要な収入源となりつつあります。 2009年の実際の証拠に基づいた推定ではアフガニスタンはオピウムでは勿論のこと、マリファナ樹脂生産者としても世界のトップクラスに入ります。

2010年のレポートでは、世界中で治療施設が非常に不足していることがあげられています。

豊かな国では治療を受けることが出来る人も多いのですが、貧しい国では治療が受けられず、保健上大きな問題を引き起こしています。2008年の推定では、世界の薬物乱用者のうち前年度に治療を受けた人は全体の5分の一に過ぎませんでした。これは、2千万人の薬物依存症者が治療を受けていないことを意味します。

ここでUNODCの会長は、世界の誰でも薬物治療がうけられるようにしなければならない時がきています、と述べています。 薬物依存症は治療可能です。 薬物中毒者を刑務所に送るのではなく、治療施設に送るべきです、そして、薬物治療を保健上の主要なサービスに組み込むべきです,と言っています。

このレポートはまだ続きますが、ここで言えることは、私たちが監察する日本の薬物問題の状況は世界の状況とまったく並行しており、薬物治療の緊急性と必要性は世界の他の国とまったく代わりが無いということです。

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世界規模の麻薬産業

 

現在国際的な密輸品となっている麻薬の主な生産地は世界で3箇所ありますが、それらの地域から麻薬は海路、空路を通じて世界中の国々に密輸されています。 国連の最近の報告書に寄れば、薬物産業における世界の収入総計は推定で、一番低く見積もっても、3千億ドルといわれています。他の信頼できるレポートの推定は、3216億ドルです。1997年のUNODCのレポートでは、市場の価値を4000億ドルと推定しています。これら薬物は、武器、オイルと並んで世界最大の貿易商品となっています。

オピウムの生産に関わっているのは、アフガニスタンを中心とするパキスタンとイランの国境地帯を含む「黄金の三日月」と呼ばれる地域で、アメリカ合衆国のタリバン攻撃開始以来生産が増加し、中心のアフガニスタンは世界のオピウムの90%を生産しています。

そしてもうひとつのオピウム生産地はアメリカ合衆国がベトナム戦争中に全盛期を迎えたラオスを中心とするミャンマー,タイにかけての、「黄金の3角地帯」と呼ばれる地域で、最近ではラオスが政治的に落ち着いてきたため、となりの政治情勢が不安定なカンボジアにその中心が移ったといわれています。コカインの生産に関しては、南米のコロンビアを中心にボリビアを加え、それにメキシコが加わった地域が生産拠点となっています。

現在アフガニスタンがオピウム生産では世界1で隣接するパキスタンが重要な加工地となり、イラン、ロシアの東南部からヨーロッパへと加工された体積の少ない濃厚な薬物が入ってきています。コカインは、コロンビア、ボリビアなどの南アメリカの地域からメキシコを通してメキシコで生産されたものも加えられてアメリカ合衆国という世界最大の薬物消費国に密輸入されます。また、ある部分は南アメリカから直接又は西アフリカを経て、スペイン、イタリア、イギリスに入り、アメリカをしのぐ勢いで消費が伸びているヨーロッパの各地に届きます。

西アフリカとは別に、過去にフランス領であったナイジェリアは、地理的に便利な経由地を形成しており、アメリカのヘロインの大部分を運ぶと同時に、南アメリカのコカインをアフリカ(特に南アフリカに)とヨーロッパに密輸入し、自国で栽培している唯一の麻薬、マリファナをヨーロッパおよび他のアフリカ諸国に輸出しています。東南アジアのヘロインの20%がナイジェリアを通して市場に出回っています。麻薬関連の犯罪者、麻薬患者が増加、マネーロンダリングも行われており、麻薬に関してほぼ無法地帯となっています。

 

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麻薬の需要と供給

アヘン、ヘロイン、コカイン、その他のドラッグ

 

アルコールはヨーロッパでもアジアでも昔から使われカバの葉は太平洋の諸島で、アメリカの土着民族の社会では、ペヨテ、コカの葉をかむということが行われていました。しかし、世界の自然の中にたくさんある薬物、アルコール、タバコ、マリワナ、べテル、カバ、カット、ぺヨテなどの中で、オピウムとコカインだけが、推奨され禁止され、過去2世紀にわたって富、権力、腐敗、没落の源泉となってきました。

アジアではオピウムの元であるポピーが200年以上の間、合法そして後には違法の薬物として栽培され、売買されてきました。

オピウムは、古代アッシリア、エジプト、ギリシャ、ローマの医薬品として、その歴史はブロンズ時代までさかのぼります。その期限を東地中海に持ち、長距離の貿易を経て、8世紀には中国に達していました。そして次第に南西アジアのオピウム地帯が形成されていったのでした。黄金の三日月と呼ばれるこの地域は、、山岳地帯の裾野に沿って5000マイルにおよび、1996年には、世界の違法オピウム栽培土地面積総計280,000ヘクタールの内96%を占めました。

これまでに、黄金の三角地帯 とよばれる ビルマ、タイ、ラオスを含む地帯と前述の黄金の三日月 と呼ばれる、アフガニスタン、パキスタン、イランの地域に加え、少量、がメキシコとコロンビアから加えられ、5000トンのオピウムが生産され、そのうち3分の1が各国内で消費され、残りは300トンの違法ヘロイン製造に当てられ国際流通の販路に乗ります。

オピウムが3世紀近くもの間国際的に取引されてきたのに対し、コカインは、密輸商品としては未だ1世紀を少し超えた程度の新しいもです。1800年代の末には合法的な薬物として、取引されていましたが、1980年代の初期には、違法薬物の主要品種となり、1996年の調べでは、220,000ヘクタールのコカ栽培地総面積中98%がアンデス地方(コロンビア、ペルー、ボリビア)に集中し、300,000トンのコカリーフから1,000トンのコカインが製造されています。このようにアジアのオピウム栽培の発展パターンがアンデス地方でもで繰り返されています。

それに加え、人工的に合成された化学物質 いわゆるドラッグが麻薬市場に次々と登場してきました。1887年アンフェタミン、Amphtetamine   が、1914年には、エクスタシー、Ecstasy(MDMA), 1919年には、メタンフェタミン、Methamphetamine が紹介されましたが、実際には1990年代にこれらのパワーフルなドラッグが流行し始めました。現在では、植物からの薬物では物足りなく、さらにパワーフルなものを求める消費者の傾向に加え、それらがインターネットなどを通して容易に手に入ったり、合法であるため好奇心で試してのめりこんでしまったりと、世界の薬物問題はどこの国でもますます深刻さを増しています。

 

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薬物取締法

 

世界各国の薬物取締法は時代により何を違法薬物とするかによって変わってきましたが、取締りの対象になる薬物はいつもみなブラックマーケットで取引され、とても利益率が高いビジネスとなってきました。1920年代アメリカでは禁酒法がありアルコール飲料は禁止されていましたが、そのときブラックマーケットを取り仕切ったのがマフィアで彼らは経済的にとても潤い、政治にも大きな影響力を持つようになりました。現在も違法薬物は世界中のギャング,マフィアにより組織化されたブラックマーケットが世界中にネットワークを持ち、薬物産業は拡大の一途をたどっています。ギャングたちの顔ぶれは内部の勢力争い等で変わってもネットワークは存続し、取り仕切る人材が変わるだけです。その中で、法律は末端の販売者、消費者を取り締まることはできても、大きな組織は、CIAの秘密戦略とともに、世界の腐敗した政府や、反政府勢力などの協力を得て、麻薬供給は絶えず世界中に広がり続けています。

一番取締法が厳しい東南アジアは特に第2時世界大戦後、世界の麻薬供給者の最大の供給源,ゴールデントライアングルを形成した地域(現在はオピウム生産ではアフガニスタンが1位でミャンマーが2位とされる)を含み、法律は厳しくても生産は絶えることなく、麻薬流通への関りを弱めることにはなっていません。イスラム圏では、タバコ、アルコール禁止に加え、薬物が禁止されていますが、最近、パキスタン、イラン等、日本に麻薬を密輸している人たちはイスラム圏の人たちも少なくありません。厳しい法律が薬物供給を減らすということは、薬物が生産されている限りないということは、今までの統計はもちろん、各国の取締法と薬物密輸産業への関わりを平行してみれば一目瞭然です。

以下は、世界の地域別の薬物取締法です。

東南アジア

インドネシア

麻薬販売  死刑

マリファナ関連違法行為    懲役20年

所持             1-5年

ラオス

100グラムのヘロイン所持  懲役10年

罰金最高$35,000(100ミリオンキップ)

マレーシア

法的規制薬物の所持 懲役(長期) 高額の罰金

薬物売買      死刑

最低0.5オンスのヘロインか7オンスのマリファナを所持していた場合,売買行為とみなされる。

フィリピン

最低0.3オンスのオピウム、モルヒネ、コカイン、マリファナ樹脂所持,又は17オンスのマリファナ所持     死刑

現在は死刑に関しモラトリアムがしかれていますが、依然,薬物犯罪者の刑は重い。

17オンスの不法薬物所持   懲役12年

シンガポール

薬物法乱用に対して厳格。

最低5オンスのヘロイン、1オンスのモルヒネ、又はコカイン、 17オンスのマリファを所持していた場合、薬物売買とみなされ、死刑

(1991年から2004年までの間に 400人が死刑に処せられている。)

タイ

カテゴリー1の薬物、ヘロインを売るために所持していた場合   死刑

2004年以来、薬物所持での死刑は実施されていない。逮捕された薬物使用者には、リハビリテーションカウンセリングが強制されている。

ヴェトナム

1.3ポンド以上のヘロインを所有していた場合   死刑

2007年、薬物犯罪で死刑になった人数は、85人。

カンボジア

死刑は廃止となっているが、薬物関連法は厳しい。逮捕された場合5年から終身刑。

しかし、取締りはあまり厳しく行われていない。

 

ヨーロッパ

EU所属の国々では、刑罰は、関わった薬物の危険度により変るところもあります。マリファナの場合は、罰金または対象外となる国もあり、ヨーロッパは生産には関わらず、末端の消費者的な位置にある国が多く取り締まりは緩やかでマリファナに関しては世界で最もリベラルな傾向にあります。

ベルギー

刑罰は薬物のタイプによる。3グラムのマリファナは個人の消費用とみなされ罰金のみ。

チェコ

刑罰は薬物のタイプによる。

デンマーク

刑の決定は売られたまたは所持されていた薬物の危険度、量による。

ドイツ

コントロールの仕方により薬物がタイプにわけられている。刑罰は薬物のタイプには関係ない。コントロール対象のどの薬物でも個人の消費のための少量が関わるケースでは、刑法の裁判の対象とならない。

エストニア

コントロールの仕方により薬物がタイプにわけられている。刑罰は薬物のタイプによらない。

ギリシャ

コントロールのレベルにより薬物がカテゴリー(タイプ)にわけられている。使用者がどのタイプの薬物を使ったかで刑罰が変わる。

スペイン

UNの分類に従う。個人消費用の場合刑罰は薬物のタイプとは関係ないが、流通の場合はタイプによる。公衆に健康上の危害が無い場合は、自己消費のためではなく所持していても少量ならば刑罰に値しないとみなされる。

アイルランド

コントロール下にある薬物が指定されている。刑罰は薬物がマリファナ類の場合、タイプによる。

フランス

コントロールされる麻薬、向精神剤を規定している。刑罰は、薬物タイプとは関係ない。

キプロス

危害の度合いにより、違法薬物を3つのクラスに分ける。薬物のタイプにより刑罰が決まる。1977年の法が2003年に改正され、25歳以下の初犯の場合最高刑は2年までとする。個人使用の最大量が規定されている。 マリファナ類は3g以上、コカイン、アヘンの場合は10g以上所持していた場合は販売のためとみなされる。

ラトビア

コントロールの度合いにより3対のスケジュールが立てられている。刑罰は,薬物のタイプには関係ない。薬物法というのではなく、政府のコントロールの規定に違反という間接的な刑法が適用される。

リトアニア

国がコントロールする薬物が3種規定されている。刑罰は薬物のタイプとは関係ない。

ルクセンブルグ

コントロール下にある薬物が規定されている。マリファナ系の場合は刑罰はタイプによる。

ハンガリー

罰則を課する目的で薬物がカテゴリーに分けられている。 刑罰は薬物のタイプとは関係ない。

オランダ

アヘン法があり、違法となる薬物が規定されている。刑罰は薬物のタイプによる。

オーストリア

UNの規定に従い、それに加え自国のレベルで麻薬として規定するものを加えている。

1998年にマリファナ類の初犯の場合は刑法により起訴しない方法を取り入れている。

ポーランド

UNの規定に従ったカテゴリーを使っている。刑罰は薬物のタイプによる。

ポルトガル

コントロールする薬物を6つのリストにして規定する。刑罰は薬物のタイプによる。

スロベニア

3つのカテゴリーが健康上の影響によって作られている。刑罰は薬物のタイプに関係ない。

スエーデン

コントロールのリストは薬物でも医療用の価値があるものとそうでない健康に害のあるものとに分けている。刑罰は薬物のタイプによる。

イギリス

危害の度合いにより違法薬物を3つに分類する。刑罰は薬物のタイプによる。

 

クロアチア

コントロール対象の薬物を3つのカテゴリーに分ける。刑罰は薬物のタイプに関係ない

ノルウェー

1978年の法は、輸入輸出上の規定の中にアルファベット順に薬物をリストしている。刑罰は通常薬物のタイプによらないが、同時にその他の犯罪が伴われた場合にはタイプが問題となる。

 

以上は、European Monitoring Centrefor Drugs and Drug Addiction (EMCDDA)による。

南米

ウルグァイ

需要を減らすため、使用、所持は罰しない。これを過去10年間実行。国の方針として、中から大サイズの流通関与者の取締りの焦点を当て、小規模の薬物取引者には焦点を当てないとしている。2004年に薬物関連のマネーロンダリングを防止、コントロールするシステムに関し法が成立している。

 

ボリビア

1973年に初めて、コカの植え付け、収穫、回収に関してコントロールするメカニズムが作られました。

1986軍がUSの指導により活動開始

1989年 USのアンデス戦略実施,軍を使ってコカ生産をなくす計画を進行

2003年 政府は、コカ生産農家との間に協定を結び、小面積でコカを栽培する同意を得る。

ブラジル

1940年の法律では、闇、密輸等のビジネスの禁止、麻薬使用を仲介準備することを犯罪としている。

1966年には、犯罪リストの中に違法薬物の原料となる植物をリストしている。

1967年 禁止対象を、アンフェタミン、ハルシノゲンに広げる。

1968年、薬物消費者の行動だけでなく、流通に従事したものと同等とみなし、刑罰も1-5年の刑プラス罰金となっている。

1976年 特に薬物取締法として、薬物関連の法律をまとめた。それは、薬物が公衆の保健に危険を及ぼすものであるとの認識に基づいている。

1990年 薬物関連犯罪を深刻な犯罪の範疇に加えた結果刑務所に収容される人数が増加

1995年麻薬消費に関しては、罰則を軽減

1998年消費に関しては処罰しない傾向に移行

2006年現在の使用予防に焦点を当てた法律に改正

アルゼンチン

1924年 密輸入、販売は6ヶ月から2年の刑期

1968年 流通販売、ある量を超えた所持は1年から6年の刑

1989年 流通に関わった場合の刑が重たくなり、個人消費のための所持は治療や教育プログラムに強制的に参加させることで罰を軽減。

コロンビア

1920年 流通、消費は罰金のみ

1928年 押収が行われる

1936年 麻薬製造販売に加担したものを刑犯罪者とする。

1964年 消費は犯罪ではないが中毒者を登録

1971年 依存症を誘発する薬物全ての流通、栽培を罰する。個人消費のための所持は罰しない。

1993年 ウィーン会議の協定に基づいて主要な麻薬意流通犯罪者達からの挑戦に対処する態度  

    を表明。

1994年 個人消費を罰するのは憲法違反との判決

2009年 憲法を改正して個人消費、所持を禁止する。

メキシコ

1916年 生産、取引、消費を違法とする。

1923年 麻薬の輸入の禁止

1927年 ヘロイン、マリファナの輸出を違法とする。

1931年 健康を害することを犯罪とする。

1940年 興奮剤の流通、所持を違法とする。

1948年 違法薬物の一掃キャンペーン

1978年 薬物使用を犯罪とする。

1994年 薬物生産、運送、流通、売買、供給、国内持ち込み国外持ち出し禁止。栽培に関しは   

    刑罰軽減。

オーストラリア

1905年 人種差別を動機に中国系のオーストラリア人がアヘンを吸引していたのを、輸入、使用禁止とした。1929年代1930年代にはこの法律はさらに厳しくなった。その後薬物使用は減ったが、1960年代にアメリカ軍のベトナム戦争からの帰休兵が滞在するようになるとヘロインが広まり、1970年代にかけて乱用が増えていった。2008年アフガンのヘロインが入ってくるまで、処方箋による薬物、temazepan, morphine, oxycodon, kethanphetamoine, copcaoin が代替物として使用された。マリファナは14歳以上の国民の33% が試したことがあり、最も普及した違法ドラッグとなっている。オーストラリアは、Harm  reduction 、Demand reduiction の先駆者で、Safe injection sitesなどを設け、リベラルなアプローチを取っているが,その効果については批判も多い。

アフリカ

近年になって、取締りの組織的力が無いこと、政府の腐敗がはびこっていること等から、ウエストアフリカが格好の違法薬物運送、特に南米からのコカインのヨーロッパへの中継地となっている

 

 

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アメリカ、フランスの麻薬への関わり、マフィアとCIAの関わり 

              (The Politics of Heroin in Southeast Asia、その他より抜粋)

 

1930年代には、アメリカに密輸されるヘロインのほとんどは中国の上海,天津に集中する製造所から送られてきました。これにマルセーユで作られたものが少量コルシカ人のシンジケートにより持ち込まれていました。中東からは、パリに本拠を置く悪名高いエリオポウロス兄弟により密輸されていました。しかし、まもなく、地中海ルートは、潜水艦の戦闘で妨害を受けるようになり、日本の中国侵略で上海,天津からの荷はとどこおりました。戦中発覚した最後の密輸は1940年サンフランシスコで押収された42キロのヘロインでした。戦時中はヘロイン供給が減り中毒者の数もアメリカ全国で20,000人まで減りました。

中国では毛沢東によりヘロイン製造所はことごとくつぶされました。エリオポウロス兄弟は引退。マルセーユのコルシカ人シンジケートはナチスのゲシュタポに協力して自滅し、シシリー島のマフィアは20年間に渡ってムッソリーニに徹底的につぶされました。ここでアメリカ政府はヘロイン中毒者を無くすことができるまたとない機会を得たのですが、OSSとCIA、シシリア人のアメリカンマフィアとコルシカの地下組織が麻薬の国際流通を再開できるような状況を作り上げました。1943年のイタリア侵略ではマフィアと連合軍が協力し、イタリアの共産主義者を弾圧しました。

アメリカがイタリア系のマフィア、ラッキー ルチアノを戦時の功労(上記のイタリア侵略に協力)を認めて刑を軽減しイタリアに強制送還すると麻薬流通は瞬く間に復活、戦争で比較的被害を受けなかった世界で最もリッチな国、アメリカでは、麻薬消費の歴史は既に19世紀に始まっており、その習慣に戻るのはいとも簡単でした。

1800年代アメリカ人たちは、オピウムベースの薬を現在、鎮静剤、鎮痛剤、ダイエットピルを飲むのと同じぐらいの気安さで使っていました。ドイツの製薬会社ベイヤーにより1898年ヘロインが持ち込まれ、中毒性はないとのふれ込みでモルヒネの代わりに病院やファミリードクターにより広範に処方されました。オピウム吸引が違法になるとヘロインが合法的な代替物となり大きな問題を生じることになりました。

第1次世界大戦までには、最小限に見積もってもアメリカの中毒患者数は、200,000人に上りました。1914年 ハリソン麻薬法が成立。ヘロイン モルヒネ中毒者に対し徐々に量を減らしていく療法がとられました。 しかし、1923年には、最高裁の判決例により、医者が中毒患者に麻薬を与えることは一切違法となりました。

それでドクターの変わりにプッシャーという麻薬密売者が誕生しました。

当初は、シシリーのマフィアはこのような麻薬、売春には手を出すことはせず、ユダヤ系のギャング、レッグズ, ダイアモンド, ダッチシュルツ, メイヤー が1920年代のこの種を扱う組織的犯罪の主役でした。

シシリーのマフィアは,違法アルコールビジネスからの収益に満足していました。しかし、1930-1931年にかけて、マフィアのランクの中で抗争が起きて、最終的にはもっとも強力なマフィア組織が、ラッキー ルチアノ により組織されました。禁酒法が解かれることを予測していたマフィアは、アルコールからヘロインと売春に移行して、利益を保っていくことに成功しました。売春婦たちをヘロイン中毒患者にすることにより彼女たちを繋ぎ止め1935年までに、売春とギャンブルでルチアノのビジネスは年収1千万ドルを得るまでに大きくなりましたが、翌年1936年ルチアノ が逮捕され、30-50年の刑の判決をうけました。しかし母国イタリアのマフィアはもっと過酷な状態に陥りました。ファッシストムッソリーニは個人的な恨みからシシリーのマフィアを徹底的につぶしたのです。第2次大戦の始まるころにはマフィアはいろいろな都市から追い払われ,西部シシリーの山奥にひっそりと隠れていなければならない状態でした。しかし、第2次世界大戦 はマフィアに新たな再出発の機会を与えました。米国海上保安諜報局(ONI)は、サボタージュを阻止できず、獄中のルチアノ の右腕のメイヤー ランスキー、に解決を求めました。パットン将軍が率いる連合軍がイタリアのマフィアタウンに上陸してパレルモに侵攻した時ルチアノの兄弟分に当たる現地マフィアの協力で何の攻撃も受けずに目的を果たすことができました。

アメリカでは、ニューヨーク港がマフィアの手に握られて 、連合軍の船が火事で焼かれてしまったことで、このマフィアをコントロールする獄中のルチアノ に助けを求めたのです。ONIはルチアノがアメリカの犯罪組織の指導権を取り戻せるようにするとともに、連合軍のイタリア侵攻に伴い功労があったとしてシシリア人のマフィアの力を復活させました。1945年ルチアノの刑は軽減され、イタリアに強制送還となりましたが、その翌年には100人以上のマフィアがイタリアに強制送還され、ルチアノ はイタリア侵略を直接助けた弟分のドン カロゲロとニューヨークからの子分たちと共に一大国際麻薬シンジケートをイタリア到着後2年もたたないうちに築き上げました。中東からモルヒネベースをヨーロッパに運びヘロインにしてアメリカに輸送するというシステムを作り上げ、10年以上にわたって大きな没収や取締りに遭うことなく大量の密輸を行ってきました。アメリカの中毒患者は戦争直後の20,000人から1952年には、60,000人、1965年には150,000人と増加の一途をたどりました。彼は最初は、イタリアの合法的製薬会社 チャパレリ (Schiaparelli) から薬物を手に入れていましたが、それが問題になるころには、シシリーとマルセーユに製造所を作っていました。

原料は、レバノンのサミーエルコウリー という輸出業者から確保、レバノンでは、政府関連当局全てがトルコのアナトリア平原で取れたオピウム密輸に協力しました。原料はモルヒネベースにプロセスされシシリーとマルセーユに向けて輸送されました。1954年にキャンディー工場が実はヘロイン製造所であったことが新聞に取りざたされるまでこれらの製造所は営業を続けました。ヘロインはヨーロッパからアメリカに直接か、カナダかキューバを経て入りました。約20年の間、キューバかフロリダを通ってアメリカの郊外へとばらまかれていくシステムが続きました。 ルチアノ-ランスキー-トラフィカンテ(キューバ、フロリダルートのコントロール者)のトロイカでこの主要な国際ヘロイン流通が行われました。メイヤー ランスキーの1949年-1950年のヨーロッパ訪問は、マルセーユのヘロイン産業の推進に大きな役割を果たしました。彼は、ジョン プルマンを通じてスイスのバンカーに会いアメリカの税務局に知られずに、ギャンブルとヘロインからの利益をいくつかのスイスの銀行の口座に入れる手筈を整えました。この迷路的な過程を経てスイスの銀行にお金を入れる方法はランスキーグループがEXCHANGE AN D INVESTMENT BANK OF GENEVAを買い取るまで普通のスイス銀行を通して行われました。この迷路的な方法は今でも使われています。

1945年-46年のフランスは第2次世界大戦の破壊から立ち直るため労働者階級はコミュニストをリーダーに生活苦に耐えていました。そのころアメリカを中心には共産主義封じ込め対策が強行に実施され、世界中で東の共産主義と西の民主主義の対立という枠の中であらゆる政治情勢が捉えられるようになっていました。1947年 CIAはフランスがコミュニストの手中に落ちることを恐れ,社会主義者たちをお金で動かし左翼を左翼の手で潰す方策を採りました。共産主義者との連帯から離れ、CIAからの資金提供で年間百万ドルの予算で、マルセーユの社会主義リーダーのガストン ディフェレが国会で反共クルセードを唱える一方ジュールズ モック国務省大臣はストライキをする労働者に対し警察に暴力的弾圧をかけさせました。最も激しい労働者との血流を招く戦いは、パリではなくマルセーユで起きました。その時のマルセーユのマフィア、ゲリーニのコミュニスト攻撃(殺人)はうやむやにされ、その代わりコミュニストが社会主義者とマフィアの手により攻撃されました。マルセーユでのCIA戦略の勝利はアメリカの外交政策にとっていくつかの理由により重要なものでした。

ゲリーニ一派は、コルシカの地下組織のリーダーとなりましたが港湾のコントロールは1950年のドックストライキでチャンスを得て始めて手中に入れました。そしてこれによりマルセーユでのヘロイン製造が可能となりました。これは、ルチアノが望んでいたものでした。マルセーユはインドシナ半島での戦争のための機材を積む港でした。この戦争はアメリカにとってのベトナム戦争と同じくらい人気の無い戦争でした。ホーチーミンはフランスの左翼労働者のヒーローになっていました。フランスの労働者たちは、ヴェトナム戦争を終結させるためインドシナ半島に武器を搬送するのを止めようとストライキを起こしました。ストライキ破りの資金15000ドルが反共功作資金としてCIAからマフィアの手に渡り、マルセーユのマフィアは港湾のコントロールをする力を得、これを機に、マルセーユがヘロイン製造のベストな環境を持つことになりました。

しかし、1960年代に入って、アントワン グェリーニが殺され、その後彼の邸宅に泥棒に入った連中を殺したということでバーソロミュー グェリーニが逮捕され他の行為で有罪となりました。これは彼らを法の取締りからはずしていた社会主義者たちが10年間にわたる右よりのドゴール派の支配で力を失い、その間に政治的影響力を得たライバルのコルシカ人マフィア(アルジェリア独立戦争の時ドゴールについて右翼とともに戦って)フランシッシ は 、パリの最も高級なカジノを持ち、グェリーニ    が影響力を持っていた社会主義者たちは勢力を失いつつあったのに対し、彼は右よりのゴーリストが支配する当時の政界への影響力を持っていたためでした。新しく台頭した若いマフィアたちはフランス国内でヘロインを売りさばくという前例の無いことをして中毒者を増加させました。1969年にはマルセーユの薬物担当警察官は8名だったのが、1972年には77名に増員されました。

1960年代の逮捕、内部抗争、取り締まり強化などで、トルコーイタリアーマルセーユの麻薬枢軸は弱体化しました。1956年から63年まで続いたマフィア同士の争いで、18人のマフィアリーダーと無数のガンマンたちが消される結果となりました。あまりのひどさに、64年800人のマフィアが逮捕され刑務所行きとなり、さらに1968年には113名が逮捕されています。そして追い討ちをかけるように起きたルチアノの突然の死によりシシリーとイタリアが国際麻薬流通から重要性を失うことになりました。それまで彼の作り上げた組織の下で16年間にわたって1億5千万ドル以上のヘロインがアメリカに密輸されました。

しかし、この地中海ヘロインビジネスに徹底的な打撃を与えたのは、1967年に発表された1972年までにトルコのポピー栽培を全面的に停止するというトルコ政府の方針変更でした。そこで、薬物生産は東南アジアが中心となる時代がきます。インドシナ半島のオピウムの栽培のコントロールを握っていたフランスのコルシカ人マフィアはベトナムに流通路をもっており、ベトナム戦争で入り込んだアメリカは、それをみな受け継ぎました。

インドシナ半島の戦争でフランスは1858年ダナン を占領、1859年にはサイゴンを、1884年-1885年 シノーフレンチ戦争で、ベトナム、カンボジア王国、(ラオス)、ルアンプラバンの王達を占領下におきました。しかし、ディエンビエンフーでの敗北で 1954年これ等の地域全体に対する直接のコントロールを失い以降フランスは間接的な形でコントロールすることになります。そしてアメリカが共産主義封じ込めを掲げて、ベトナムに入ってきます。この間サイゴンはずっと麻薬の輸出の出発点となっていました。

1535年最初にベトナムに到着したヨーロッパ人はポルトガル人でしたが、その後、17世紀にオランダ人、フランス人、英国人の貿易商人たちが入ってきました。キリスト教の宣教師たちが多く訪れ、沢山のベトナム人がローマンカソリックとなりました。フランスがベトナムを支配するに至ったいきさつは、ベトナムの王朝からの宣教師と信徒に対する迫害のひどさに、フランスが布教の自由を保障するため乗り出したという説もあります。

1859年 フランスはサイゴンを占領、1867年, コーチンチャイナ を、1884年トンキン、アンナンを保護領としました。1887年にはトンキンを合併。20世紀にはいると独立運動が強まりますが、第2次世界大戦の間、日本が占領し、1945年3月まで日本はフランスの統治者としての存在を全面的に認めていました。フランスが引いた後、バオダイ (アンナンの皇帝)が独立国を立てましたが、すぐにつぶれてしまい、ベトミン(独立主義者及び共産主義者)の合同政府が勝利を収め、ハノイに首都を置き、ホーチーミンを長に共和国を立てました。ポツダム会議の決定に従って、コーミンタンが北ベトナム を7ヶ月占領しました。フランスは再び自分たちのコントロールを復活させようとし、公式に南ベトナムの支配権を握ったイギリスはそれを黙認しました。

1946年フランスは、ホーチーミンと協定を結び、ベトナムをインドシナ半島のフレンチユニオン内の自由国として認めました。フランスはコーチンチャイナがベトナムに属するかどうかを問題にし、独立国となることを支持したり、悉くホーチーミンが権力を持つのを妨げ、ベトナムと戦争状態に入り、それが、フレンチインドシナ 戦争に発展しました。これは1954年のディエンビエンフーでのフランスの撤退まで続きました。

中国本土では共産主義者が勢力を持ち、1949年の12月には、中国共産軍はインドシナとの国境に侵攻してきました。ビルマに逃げ込んだコーミンタンは、次第にビルマのオピウムのコントロール権を握るようになります。

1949年フランスはベトナムとの間に協定を結び、ベトナムは今回は独立国として認められました。アメリカはすぐさまそれを承認。英国その他の国々も次々と承認。ホーチーミンはソ連、中国、その他のソビエトブロックの国々からも認められました。例外はバオダイを認めるタイだけでした。バオダイは、フランスの傀儡政権とみなされ国民から支持されませんでした。フランスは都市といくつか孤立した箇所をコントロールしていましたが、ベトミンは、カントリーサイドを全てコントロールしていました。1950年、アメリカはフランスの戦費の80%を負担していました。

この直後、ベトナムは2分され、南にはフランスが擁護するバオダイ政権が、北にはホーチーミンの共産主義政府が樹立されました。この新しい体制の中で900,000人が共産主義政府を逃れて南に避難してきました。 1956年に行われる総選挙により南北統一が決定されるはずでしたが、ホーチーミンが優勢なことを察知したアメリカに後押しされた南ベトナムが反対し、総選挙はついに実現しませんでした。南ベトナムは フレンチユニオンから脱退、1955年10月26日ゴーディエンディエム を大統領として共和国になりました。アメリカ、フランス、イギリス が即座にこれを認めました。

ディエム は、カオダイ(宗教セクト)、ハオハオ(オカルト集団)を弾圧,独裁的な政治を行いました。一方、ホーチーミン政権は、ソ連 と中国に援助され南の共産主義者たちを援助しました。べトコン(反政府ゲリラ)は1961年には南ベトナムの2分の1をコントロールしていました。この当時サイゴンへの麻薬密輸にはフランス、コルシカ人、ベトナムの役人達がかかわっていました。

1961年、ラオスはオピウム売買を国の管理から取り除き違法としましたが、ラオスの軍のトップはその後もしっかりとした帳簿にベトナムにどれだけ輸出しいくらの利益をシンジケートのアカウントに預金したか記録していました。

アメリカはディエムに対し民主的体制変更を行うようプレッシャーをかけますが、仏教僧が焼身自殺を公衆の面前でおこない,反政府デモが拡大、政府は更なる圧制を行うようになりました。1963年11月1日、クーデターが起こされ、ディエムと彼の兄弟で秘密警察の長のゴーディンヌーが殺されました。クーデターと同時にアメリカは北ベトナム攻撃を開始します。

そして南ベトナムではグェンヴァンチュー将軍がトップ となり、 グェン カオ キーがNo2 となりました。1967年には、チュー が大統領に、キー が副大統領になります。ヴェトナム戦争の最中,南ベトナムのアメリカに協力する政権を作り上げたのは薬物密輸からの現金の賄賂でした。政府のトップはすべて、グエンカオキーの勢力下の人間で占められ、密輸はスムーズに行われ、莫大な利益金が政治家に流れていきました。現在アフガニスタンで全く同じことが政府で行われています。

 

サイゴンのコルシカ人マフィア(本拠地マルセーユ)はオピウムをサイゴンからマルセーユに輸送していました. 第2次世界大戦の直後 コルシカ人マフィア、バーセレミーグェリーニは、スイスの金をアジアに密輸するのにサイゴンのコルシカ人マフィアの力を得て成功しました。サイゴンからマルセーユに向けてのオピウム密輸は、全てコルシカ人マフィアのサイゴンのリーダー、マシューフランシーニが取り仕切っていました。

1955年フランスは全てのコントロール権をアメリカに譲り渡しました。それ以後3年ほどサイゴンからの大量のオピウム密輸は停止しました。しかしトップが替わってもベトナムの経済の中に深く入り込んでいたオピウム産業は続きました。オピウム取引を取り仕切っていた盗賊ビン ジエン の攻撃に対抗するための資金を、ディエン 政府は、ビン ジエンの薬物商法をそのまま秘密裏に取り入れ資金を手に入れました。その後、クーデター(CIAに後押しされた)によりベトナムは軍事政権下に置かれますが、 1965年には、副大統領になったグェンカオキー がローン将軍を使ってオピウムからの資金を得て、政治権力の座を得るに至りました。

インドシナ半島でフランス人たちの密輸組織が反政府運動を支えてきましたが、ビルマでは、共産主義中国の力の南下を防ぐためKMT(コーミンタン)がCIAの援助を受けました。ビルマのシャン州に残っていたKMTが台湾及びCIAの援助で中国南部を侵略する準備をするということでシャン州に住み着きオピウム取引の拡大と独占に成功します。KMTは、収穫されたオピウムをタイの北部に送り、タイのCIA工作員で警察庁の長官ファオ がそれを買っていました。 

中国への侵攻ではなくビルマの東部に侵攻してきたKMTに対抗したビルマはKMTをシャン州から追い払うとともに国連に訴えました。結局KMTの兵隊たちを莫大な費用をかけて台湾に送り返すということで解決しましたが、それでもKMTは多数残存し、次の7年間小競り合いが続きます。そのような状況の中で1955年には多数のKMT 軍がひそかに舞い戻り、シャン州でのオピウム取引を中心に搾取的なコントロールを続けました。しかし、1961年にはビルマ軍と中国本土の軍隊によりKMTはコントロールを失いました。そのときビルマ政府が没収した武器は最新のアメリカ製でした。それで、アメリカと台湾は責任を問われましたが、どちらも拒否、台湾はこれらKMT軍の残りを台湾に撤退させますが、その数ヵ月後KMTの兵たちは、CIAに雇われてラオスの北西部の秘密戦略軍としてインドシナ半島に戻りました。

ある歴史学者が言うように、KMT戦略は、麻薬生産戦略になったのではないか、といわれました。アメリカのメディアはCIAが支援したKMTが麻薬密輸に関わっていた事を取り上げ、特にタイの麻薬取引のトップがCIAの人間であったことでCIAが非難をあびました。

しかし、このパターンは、ベトナムで繰り返され、多くのアメリカ兵が麻薬中毒者になり、そしてニカラグアのコントラ支援ではやはり武器と麻薬が引き換えとなり、ロスアンジェレスを初め、アメリカの多くの地域社会にコカイン中毒者をだしました。

ゴールデントライアングルの興亡にかかわってきたベトナムとタイのことは既にふれましたが、他のインドシナ半島の国々も巻き込まれずにはいませんでした。

カンボジア

カンボジアは1949年フランス領インドシナから独立して、ノロドムシアヌーク国王により統治されていました。1965年アメリカが北ベトナム空爆を開始するとシアヌークは対米断交。アメリカ軍と南ベトナム軍はカンボジアの領内に北ベトナム軍と南ベトナム人民解放民族戦線の補給基地があるということで、カンボジアを爆撃しました。1967年シアヌークがモスクワと中国を訪問中に反政府運動が起きて、1970年3月には将軍ロンノルが首相となりクメール共和国を樹立しました。ロンノルは反北ベトナムキャンペーンを打ち出し、1970年アメリカ軍のカンボジア侵攻を許可します。 ロンノルは国内のベトナム系住民を迫害、虐殺し、ベトナム人たちは集団帰国を強いられました。 南ベトナムのサイゴンが陥落するとロンノルは亡命、中国に支援されたクメールルージュが1976年民主カンプチアを立てますが、ホーチーミンのベトナムはソ連に近く、ポルポト(クメールルージュのリーダー)は中国に近く、ベトナム軍のプノンペン攻略を引き起こします。1990年カンボジアの内戦は終結し1991年ノロドムシアヌークが国王に再即位して立憲君主制国家となりました。アメリカを自国に招じ入れたロンノル政権がどのように政治資金を得たかは、不明です。オピウムCIAが関係していても不思議ではありません。

ラオス

ラオスにおけるアメリカの軍事行動が目立ってくるのは、1959年の後半項からですが、南ベトナムにおける戦争の拡大とともに、ラオスにおけるアメリカの特殊戦争は半ば公然化されてきました。特にアメリカのラオス侵攻作戦と言われるのは、71年2月8日から始まり、3月25日に南ベトナム政府軍の撤退で完了した、ラオス南部への作戦を言います。これはベトナム化を促進するニクソン大統領が南ベトナムを安定させ、その後方を固めるために、南ベトナム北端に近いラオバオ峠から西方40キロのラオス領チェポンに向けて、いわゆるホー・チ・ミンルートを粉砕し、国道第9号線を確保する目的で始めたものです。アメリカはB52戦略爆撃機、戦闘爆撃機、特に新鋭ヘリコプター数百機をフル出動させ、アメリカ空軍の全面的支援のもとに、レンジャー部隊を含む南ベトナム政府軍の精鋭2万から2万5千人を投入して、この作戦を決行しましたが、ラオス解放軍や入民武装勢力の巧みな包囲網に陥り、予想以上に激しい大力攻撃の前に大半の兵力を失って敗退しました。ラオス愛国戦線側では2月8日以来、六週間でアメリカ・南ベトナム軍1万6千人以上を殲滅、飛行機490機以上を撃墜破し、軍用車両580両以上、大砲100門以上を破壊損傷させたと発表しました。この戦勝を祝賀する集会がインドシナ各地で開かれました。

 

カンボジアでは90年代の中ごろには、アンフェタミンが広がり、1998年のUNODCの調べではオピウムの依存症が最も多い国の一つでしたが、1998年から2005年にかけて、栽培は94%減 中毒者は80%減となりました。しはし、2011年9月UNODC調べでは、2007年から2010年にかけてオピウム栽培が増えています。2011年9月には、ルクセンブルグからUNOCDを通US$1,200,000を代替農産物移行のプロジェクトに提供しています。

中国もミャンマー、ラオスに代替農産物移行を援助して 100,000トンの食糧医療品援助,700ミリオンドルを投入しているという情報もあります。

 

中国の現在の状況 (China Daily  2008年)は、Golden Triangle の栽培の減少と国境での取り締まり強化により、押収された薬物量はへってきています。しかし、撲滅には程遠く、薬物は大量に密輸されており、国内でも生産されています。

ミャンマー

旧ビルマにはいろいろな王朝が勃興しましたが、1885年最後の王朝がイギリスにより滅亡しました。1886年には、イギリス領インドの1州に加えられました。イギリスはビルマに、イスラム教徒のインド人、華僑、周辺の山岳民族をキリスト教徒に改宗させ、ビルマを多民族多宗教国家に作り替え、インド人が金融、華僑が商業、山岳民族が軍と警察に、ビルマ人は農奴にされました。

1937年、イギリスが大帝国の限界を感じ始め、中国のアヘン取引を日本に任せ始めた頃ですが、ビルマはインドから独立、イギリス連邦内の自治領となりました。1942年日本軍と共に戦いイギリスを駆逐しました。そして1943年には日本の後押しでビルマ国を設立しますが、日本の敗色が濃くなると、アウンサン率いるビルマ国民軍は、クーデターを起こし、イギリス側に寝返りますが、連合軍がビルマを奪回するとイギリスはビルマの独立を許しませんでした。しかし1948年には独立を達成しました。その1年前にアウンサンは、暗殺されています。

1949年KMTがシャン州に侵入すると、CIA は物資、弥軍事顧問団を送って援助し、KMTはタイへのアヘンの運び出しに従事しました。1950年代にビルマはKMTを追い出し、ビルマ共産党が麻薬を支配しますが、共産党とKMTが覇権争いをする中で国軍が優勢となり、1990年には総選挙が行われ,NLD(国民民主連盟アンサンスーキーをリーダーとする)と民族政党が圧勝しますが、軍政府はこれを無視、アンサンスーキーは選挙の1年前から自宅軟禁となってしまいます。それ以来軍政が続きますが、2007年前首相がなくなると新しい首相は民政化を図り、2010年総選挙を実施、アウンサンスーキーは軟禁を解かれました。ミャンマーは隣国のインド、中国などから援助を受け今日に至っています。

フィリピンは、19世紀末長い間スペインの植民地であったのを、スペインと戦争状態にあったアメリカに助けられて、にわかに独立を果たせたと思いきやすべてはスペインからアメリカに変わっただけでフィリピンの植民地からの解放は幻と化した時がありました。1898年キューバのハバナで米潜水艦が爆沈したことから米西戦争が勃発しましたが、同年、アメリカに屈したスペインはフィリピンの領有権を約2000万ドルでアメリカに売り渡しました。その時アメリカはスペインが持っていたフィリピン国内の麻薬の独占販売権をそのまま受け継ぎ、その利益で新しい占領下フィリピン政府の財政を賄ったということです。

アメリカCIAによる薬物国際流通へのかかわり

第2次世界大戦の終結と共に登場したOSSの後継者、CIAはマフィア(イタリアのシシリー人、フランスのコルシカ人)との協力により国際麻薬取引に深く関与し、東南アジア、南アメリカ、そしてアフガニスタンと、アヘンとコカインの生産地を中心に深く関わってきたことは合衆国のレポーターや学者たちにより証拠立てられ、研究論文や本になって沢山出版されています。

現在世界の麻薬の密輸、密売に関わる最も正確な情報を把握しているのは、CIAではないかと思われます。135カ国を挙げ各国別に麻薬生産、消費、売買、国際流通(マネーロンダリングを含む。)等に具体的にどのように関わっているかを詳しく記述した14ページにわたる最新と思われるリストを発表しています。これによれば、麻薬に関する法律がとても厳しいシンガポールではマネーロンダリングが行われています。同様に厳しい法律を持つマレーシアでもヘロインに関しては厳しい取締りが行われていますが、乱用はやまず、エクスタシー、メタンフェタミンなどの合成薬物の需要も続いているということです。ここからも法律の厳しさには関係なく薬物問題が世界中に広がっていることは容易に伺えます。

このCIAの武器、麻薬、ゲリラを巻き込んだ秘密作戦が明るみに出て国内で大きな問題になったことがありました。1985年に始まり1986年に報道されたレーガン政権のもとで行われたニカラグアのゲリラ(コントラ)武器援助に合衆国に密輸された麻薬の売り上げによる利益金が使われたことがレポーターにより暴露記事として新聞に載りました。レポーターはジャーナリストとしては最高のピューリッツァ賞を受賞しますが、賞をもらいながらCIAに見えない圧力の為、職を失いプロの生命を絶たれ、2004年には自殺においやられてしまいました。

これらCIAの一貫した武器、麻薬、ゲリラ(マフィア)サポートのネットワーク作りは、古くは、フランスのマルセーユで、ベトナム、ラオスで、ニカラグア、コロンビアで、そして現在では、アフガニスタンで繰り返されています。現在カリフォルニア大学の名誉教授で同大学に平和研究プログラムを創設したピーター デール スコット博士は、このアメリカの国際政治政策をそれぞれ単発の政治戦略としてではなく「ディープポリティックス」という言葉を使って表に出ている国の他にその根底に存在する「ディープステート」(闇,深みの中の国)があるとし、その存在に関して、JFK の死、9/11、CIAのグローバルなドラッグコネクション、アフガニスタンを廻って説き証し、多くの著書を出版しています。一番最近では,「アメリカンウォーマッシーン」という題名で、書評の中には,グローバルなドラッグトレード(商売)に依存したアメリカの軍、産業、諜報(CIA)が一つになって作った歴史について書いた本、麻薬産業とそれに関連するマネーロンダリングを推進、運営するのに必要な軍隊及び警察の介入を正当化する政策とメディアの方針の展開を把握できる、、、等という言葉で絶されています。

スコット博士は現存する裏の世界をアメリカに焦点をあてて書いていますが、このディープステートはディープワールドに重なるものであり、今日ある現状は世界全てを巻き込んでいます。

これまでのパターンから、この世界的な忌々しき薬物問題を創り出したのはCIAでもなければアメリカ独自の力でもありません。お金、権力、刹那的な快楽への欲望を人間の命を犠牲にしてまで追求する人間の醜さが集約した結果だと思います。そしてそれを実際目に見えるように現してくれたのが、アメリカなのだと思います。

この様な世界の中に生かされている私たちは麻薬と無縁では無く、世界全体、人類全体が麻薬に犯されているのです。

 

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グレートゲームの盤となったアフガニスタン、プレーヤーとなった日本

 

阿片の生産で古くから知られるアフガニスタンは大国に挟まれて、過去30年平和な時は稀で人々はいつも戦争の中で生活してきました。それは現在でも続いており、結果的にはアフガニスタンを世界1のアヘン生産国にしています。

 

ヨーロッパの帝国が覇権を争う時代、中央アジアの覇権を握る大英帝国と南下のチャンスを狙うロシア帝国は、アフガニスタンで角をつき合わせてきました。英国の富の中核であったインドに侵略していこうとするロシアとインドを越えて富豪ロシアに侵略しようとする英国が引き起こす攻防戦はアフガニスタンが舞台となって繰り広げられました。これをある作家がチェス盤上のゲームに見立て、グレートゲームと呼んでから、その名で知られるようになりました。後にこの国際政治のグレートゲームには、日本、アメリカ、中国等がプレーヤーとしてかかわってきます。

 

現在世界のアヘンの90%を生産するアフガニスタンはこのグレートゲームの中で自然資源に乏しく農耕による生活はいつも乱され、より高額の収穫利益が得られるアヘンの元となるポピー生産に専念するようになりました。1979年のクリスマスに始まったロシアのアフガニスタン侵略は、当時の共産主義的な政治を行っていたアミン政府がアフガニスタンのモスレムを弾圧し人気をなくしたのを アミン政府を助けるという名目で行われました。その直後アミンは暗殺され、新しい政府が発足しますが、南ベトナムでべトコンが勢力を持ったように、モスレムのゲリラ、ムジャヒディーンが力を持ち、新政府は85000人のロシア兵に守られなければすぐにでもつぶれてしまう状態でした。

アメリカのベトナム戦争と同じような状態になり、ロシア軍が苦戦しているのをアメリカは冷ややかに眺めると同時に密かにそれとわからないルートを使ってムジャヒディーンに武器を供給しました。しかし、1989年ロシア軍が撤退した時、モスレムの中でも強硬派のタリバンが勢力を持ち、政権を握るにいたります。タリバン政権は国際的に受け入れられようとポピー栽培を禁止して通常の農耕を強制しました。その結果2001年にアメリカ軍が到着した時にはポピー栽培は殆どなくなるまでになっていました。しかし、テロリスト(タリバン)攻撃のために入って来たアメリカは、軍事関連の支援予算を大きくとりますが、再び戦闘により生活を脅かされるようになった農民たちへの援助は名ばかりのものでした。 政治が不安定でいつ耕作地が戦場と化するか分からない状況の中で、それをサポートする政府とCIAの容認の下に農民たちは再びアフガニスタンをアヘン系麻薬生産国のトップの地位に引き戻しました。

 

2010年のロシア連合薬物関連推定数字によれば、アフガニスタンのオピウム収穫高は現在年間650億ドルで、その内5億ドルが栽培者の農民達に行きます。ポピー栽培が500,000所帯 (人口の20% )の経済を支えており、この推定では所帯あたりの年収は5000ドルということになります。次に3億ドルがタリバンのゲリラに、残りの640億ドル以上がカルザイ政権と取り扱うマフィアにいきます。因みにアフガニスタンの国内総生産は100億ドルです。このオピウム経済を成り立たせる政府の関連閣僚への賄賂は50億ドルとも言われています。ベトナム戦争時代に当時の副大統領グェンカオキーが莫大な賄賂を使ってオピウム流通の政府側の体制を整えたのと全く同じことがアフガニスタンで行われています。それは近隣の国にも大きな影響を与えています。

                   

CIA がアフガニスタンをサポートするために秘密作戦(コバートオペレーション)を開始してからわずか2年でパキスタンが60%のアメリカのヘロインを製造するようになりました。パキスタンは1979年には麻薬中毒者は0でしたが、5年後には1200万人 が中毒になっています。

 

現在の状況から遡ってアフガニスタンを現在のアフガニスタンにした歴史的背景を簡単にみていきたいと思います。

 

第1期のグレートゲームは、1813年から1907年の英露協商までの期間を指し、アフガニスタンをめぐって行われた両者の抗争を指します。

同時に、香港、上海を得てそこを拠点に海から清朝を侵略した英国とシベリア鉄道を敷き満州から清朝を侵略してきたロシアとの侵略競争が中国、朝鮮、日本を巻き込んで極東での侵略競争となって展開していきました。その間チベットは当時としては戦略上の利用価値が少なかったため、双方の帝国は中国(清朝)が支配権を握るがままにさせておきました。

 

第2期は、1917年の2番目のロシア革命から第2次世界大戦勃発による英露協調までですが、ユーラシア大陸国際政治上から見ると、ロシア革命からベトナム戦争の終結が背景として流れの中に含まれます。1930年代満州を拠点に日本がイギリスの代わりを務めるようになりました。ここで日本は、世界のアヘン取引に大きな役割を果たし、満州国設立の時代には、満州国の経営、日本軍の経営はすべて、麻薬取引の利益により賄われていたと言っても過言ではないくらいで、 当時の日本の軍部がいかに闇の麻薬取引によって支えられてきたかは、戦争終結後、巣鴨で行われた第一級戦犯の裁判当時の証言等を含め、日本で数冊の本になっているほか、インターネットの英語のグレートゲームに関するサイトや、東南アジアのアヘン流通に関して触れたアメリカのアジア歴史学者の本などにその役割が言及されています。

 

この1920年代にはアメリカでは、禁酒法が施行され、所謂ローリング20年代に入りますが、マフィアはアルコールのブラックマーケットで絶大な力を持っていました。禁酒法の終わりを目前にして次のビジネスとして次第に麻薬、売春へと移行していきました。このビジネスが大成功を収めたことは、1924年アメリカの麻薬中毒者は推定で200,000人にまで達し他ことからも容易に判断できます。

 

一方1920年までには、日本経由で、中国に大量のアヘンが持ち込まれていました。日本は国内での麻薬使用は一切させない体制をとっていましたが、麻薬取引の利益金を資金に、それより前からいろいろな国際政治に参加する準備をしてきていました。 麻薬の利益で日本の軍力増強を援助した英国の意図では、日本軍が同国の戦略上の駒となれるよう準備をさせるということだったようです。

 

明治維新の実現に際して、1870年代に薩長両藩の親王派を支えていたのは、ジャーディンマセソン商会を通じて流れてきたイギリスの麻薬取引による利益金でした。 明治維新はすべてが、ジャーディンマセソン商会の長崎支店、グラバー邸で始まっており、武器、教育、活動資金はそこから出ました。そしてこの支社は破産して閉店となりますが、それによってジャーディンマセソン商会は揺らぐことも無く、グラバー氏はこの明治維新時の功績により外国人で初めての、天皇からの勲章を得ています。ジャーディンマセソン社は阿片の密輸と茶のイギリスへの輸出で巨万の富を得た会社で、明治維新の立役者たち、坂本竜馬や薩長の藩士は、この日本人とは異なった意図を持ったこの外国の資金で動きました。そして日本は明治元年(1867年)から海軍の拡大強化を始め、1920年には、世界3位の戦力を有するようになります。一方幕末明治維新に武器弾薬等を提供したグラバー商会は1870年に破産という形で幕を閉じています。ジャーディンマセソンは江戸に近い横浜にも1859年開港と同時に支店を設立していました。

 

アヘン戦争で(1840年前後 2回に渡って行われた)中国大陸の2大商社、イギリスのジャーディンマセソン、18世紀初頭イラクのバグダッドに出現したスファラディ系ユダヤ人一族の豪商、サスーン商会が、アヘン販売の利権を独占的に手中に収めることによって、巨万の富を得ました。英国はインドで栽培したアヘンを中国に売り、その代価は、正式の貿易の通貨となっている銀で支払わせました。中国の南部(雲南省)でもアヘンは栽培していましたが、インドのアヘンはそれよりも質がよく中国人に好まれました。この収入によりそれまで大きな赤字を計上していたイギリスの中国との貿易収支は一転して黒字となりました。 

 

日本は満州を手に入れると英国が行っていたアヘン取引を受け継ぎました。その詳細は「阿片王」-満州の夜と霧-に著者 佐野眞一が直接当事者から得た情報や公開された巣鴨の戦犯裁判記録などに基づいて詳しく記述されています。以下は日本軍の麻薬取引への関わりについて述べた同書からの抜粋です。

 

「1939年4月設立した 昭和通商(一切記録が残っていない麻薬取引の日本の公然の秘密組織)は、 三井物産、三菱商事、大倉商事、が5百万円ずつ出資、軍部の半ば強制により設立された会社で、最盛期には、3000人近い社員を抱え、ニューヨーク、ベルリン、ローマ、バンコク、マニラ、シンガポール、北京、南京、広東、満州首都新京などに支店網を張っていました。表向きは、陸軍の旧式となった武器を中近東などの第3国に輸出する一方,タングステンなどの貴重な軍需物資を現地調達していました。 だがその実態は、広報活動とアヘン取引を両輪とする陸軍の完全コントロール下に置かれた極秘特務機関だった。)(P31 阿片王)より。

 

「阿片はアングロサクソンの代わりにわしがやっとるんだ。」と里見(里見甫)が言っていた。東条英機は、「この裁判は昭和3年来の事柄に限って審理しているが、阿片戦争まで遡って、審理されたらこの戦争の原因結果がよくわかると思う。」と東京裁判の尋問の後弁護人清瀬一郎に語った。」(P170)

 

「里見のおじさんは、国民政府主席の蒋介石から阿片の権利を預かり、蒙古で栽培されけしの花を飛行機で運搬し、満州か中国のどこかで精製阿片を各地に配給しているんだ。阿片で得た利益の半分を蒋介石のおじさんという人を通じて、蒋介石に渡し、4分の一は、日本側中国主席の王精衛(汪兆銘)がとって、日本占領地区の統治費用に使い、残りの4分の一の八分を軍部に収めて、あとの2分をおじさんがいろいろな経費を含めてとっているんだ。

マキノは同じ話を里見の秘書の徳岡からも聞いた。」(P172)

「里見の資金源が、如何なる方法で上海に集まったかの詳細は判然としないが、当時満州より煉瓦大の金塊数10個、時価にして数百億円が大連丸にて運搬された事は確かである。これがペルシャ阿片輸入の資金源になったと思われる。」

「里見のアヘン取引による莫大な資金は、軍の情報工作にとって欠くべからざるものだった。

英国のやり方を踏襲した満州における阿片漸禁主義と専売制度は、満州国経営の基礎的資金となったばかりか、特務機関や憲兵隊の豊富な謀略資金ともなった。」(P192)

 

満州国設立と共に日本は直接麻薬取引に手を染めますが、前述したようにそれ以前に間接的ではあれ、日本は麻薬取引による利益を土台に日本大帝国を成り立たたせています。

 

日露戦争は日本に対して強気だったロシアに日本が対応しなければならなかったというのが戦争を正当化する側の見方ですが、ロシアを強気にさせていたのは、1901年に開通したシベリア鉄道と、露清密約でした。東アジアに非常な興味を抱いていたロシアは日本に対して外交的な無条件降伏を迫っていました。日本がロシアに屈すれば、その次は長城線を越えたコサック騎兵隊が北京,天津を一蹴し、イギリスが握る上海まで一挙に南下してくるという展開で有ろうということを推定するイギリスは、ロシア軍の封じ込めを日本に任せることにしました。それというのもイギリスは、南アのボ-ア戦争で莫大な支出を強いられ、世界帝国の黄昏を感じ取っていた時期だったからでした。

 

日本は、アジア人の戦力を過小評価していたロシアを封じ込めバルチック艦隊の迎撃にも成功しました。(この時日本側はイギリスからバルチック艦隊の動向に関し前もって情報を得ていたと言われています)。日本軍が幸運だったのは、国内の革命運動の勃発でロシアの戦力が削がれたことでした。その結果、1907年の英露協商において、ペルシャ、アフガニスタン、チベットにおける英露の角突き合わせが終結することになりました。

イギリスは日本がロシアの進出を防げないまでも勢いをそぎ彼らの拠点である上海まで来なければよいと思っていたようでした。イギリスは日本の戦力に対しそれほどの期待は持っておらず経済援助にもそれほど積極的ではありませんでした。

日露戦争の戦費を賄うため日本は国債を発行し、これをイギリスとアメリカに引き受けてもらおうと当時の日銀副総裁高橋是清が奔走しました。その結果、アメリカのユダヤ系銀行家、ジェーコブ シフによりイギリスの数行を合わせたのと同額の資金(500万ポンド)を借り入れることに成功します。シフ氏は、アメリカで木綿の取引で金銭ではなく現物を受け入れ、大成功し巨大な富を得た人です。彼は高橋是清の日本人の武士道精神に基づいた気質の説明を聞き、ロシアのユダヤ民族に対する迫害に対し報復が出来ると考え、出資を決意しました。このことは,シフ氏が後にそう語っています。彼はその他にもロシア帝国に対する報復の為、レーニン、トロッキーにそれぞれ2000万ドルを送りロシア革命を支援しました。木綿は、奴隷による木綿栽培が行われた結果 非常に利益のある貿易商品となりました。英国に富をもたらしたのは、インドの植民地で栽培されたオピウムからのアヘンでしたが、アメリカに富をもたらしたのは、奴隷貿易に基づいた木綿栽培でした。そして日本はアヘンと奴隷の労力による利益を資金にしてロシアとの戦争に勝利を収め、更なる中国及び東南アジアへの侵略を進めていきます。

 

第2次世界大戦がはじまると英露の協調によりグレートゲームは、戦後ベトナム軍によるカンボジア侵攻とソ連軍によるアフガニスタン侵攻に始まる

米ソの対決というプレーヤーの変更がでてくるまで休止となりますが、其の間のアジアを牛耳った日本は、麻薬取引上、今までのイギリスの独占的ビシネスを、日本はアメリカが主要なプレーヤーとなるまで、そっくり受け継ぎ、大きな役割を果たします。 ここでもう一つ忘れてはならないのは、 フランスはその間アメリカの麻薬;流通にマルセーユのギャングを通じて大きく関与し続け、アジアでの麻薬取引上のコントロールは彼らの植民地ベトナムを中心とするインドシナ半島でずっと独占的に握ってきており、1954年ディエンビエンフーでフランスが敗北し、アメリカに援助されていたフランスがインドシナ半島から手を引いた形となるまで続きました。

 

 

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オリエンタルエクスプレス

The Second Opium War by Catherine Lamour Michel R. Lamberti より

 

次第に海路から陸路に移って、 1972年ヨーロッパ向けの70%のモルヒネは陸路で運ばれています。これは、トルコとヨーロッパを行き来する車や電車が増えてきたこと マルセーユは、アルジェリアの独立で、入港する船のコントロールが、容易くできるようになったことが原因です。 1972年には700,000人以上のトルコ人が西ドイツで雇用されています。これらの人達は陸路化空路でこの2国間を往復していました。野菜や果物、その他の生鮮食品に属するものは出発前に検査を受け荷卸しする地まで何の調べもなく運ばれました。これは密輸業者には絶好のチャンスを与えました。トルコで積まれたモルヒネは、途中、ブルガリアとトルコ人たちの居住地があるユーゴスラビアで積み替えられ、そして南フランス、北イタリーアドリア海を経て、または、ウィーンからミュンヘンへ、またはシュトゥットガルトへ、南フランス北イタリアのルートは、双方の密輸入者に歓迎されましたが、ある時トルコの国会議員が145キログラムのモルヒネを車に積んでリヨンに行く途中であったということでした。このウィーン経由のルートの方が好んで使われるようになりました。

 

こうしてミュンヘンが、ヨーロッパのモルヒネのセンターとなりました。ミュンヘのトルコ人居住地域はモルヒネの倉庫を提供し、そしてそこから何らかの方法でヘロインの首都マルセーユに運ばれていきました。マルセーユがヘロインの首都であることは歴史を50年さかのぼれば良くわかります。1931年までヨーロッパではヘロイン及び他の麻薬の製造は自由に行われていました。 

1931年以降は、パリに製造所を創り、オピウム、とモルヒネはトルコ、ギリシャ、ユーゴスラビアから、オリエントエキスプレスに乗って運び込まれました。そして50年代の中ごろまで、パリは麻薬ビジネスの焦点となってきました。パリに集まる麻薬の半分はトルコからマルセーユに船で入っていました。

 

トルコに蓄えられていたオピウムが底をつくころ1971年から1972年には、オピウムの最大消費国アメリカに東南アジアからそう密輸量の30%が入って来ていました。しかしアジアからのヘロインが止められると、メキシコがアメリカへの密輸業者ナンバー1となりアメリカの市場の90%を占めました。

 

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公式報告書に見る日本の薬物情勢

 

警察庁組織犯罪対策本部 薬物銃器対策課 発表の平成22年度、及び 平成23年度上半期の報告書によれば、薬物関連犯罪状況から見ると日本の情勢は以下のように、多くの点でグローバルな傾向をそのまま反映してることが分かります。

薬物押収状況

覚せい剤粉末が増加、合成麻薬、コカイン、ヘロイン、アヘンの押収量が増えています。イラン人、中国人(台湾)が覚せい剤の密輸に深く関わっているようです。方法としては、少量を飛行機に乗る際携帯するケースが多く、これは世界的な傾向で、昔に比べ薬物は全て少量で効果を発揮するよう作られてきているので、昔のように大量に密輸することがなくなっており、取り締まりも難しくなっているというのも世界的な傾向です。

大麻は乱用者層が拡大傾向にあり、他の麻薬に関しては、二十歳以下の若年層の減少が見られ、40歳以上の再犯者が増えているのに対し、大麻の場合は、若年層に依然人気があるようで、初犯が多いのが特徴です。しかし大麻密輸は少なく、国内での栽培の比重が高まっている状況が続いているようです。

検挙数では、覚せい剤密輸は来日外国人によるものが増加しています。これは、世界の麻薬流通ルートを見れば、将来益々いろいろなところから麻薬が入ってくる可能性があります。平成22年の報告書にはナイジェリア人が覚せい剤密輸に関わっており、それは過去には見られなかったとありますが、最近アフリカ、特に西、北部は新しい重要な麻薬の中継地として登場してきています。これもグローバルな傾向を反映したものといえそうです。(表スキャンコピー参照)

最近のデータでは、検挙された国籍の多数順で、メキシコ人(10人)ベトナム人(5人) 中国人(台湾)4人ドイツ人 4人、アメリカ人 4人、中国人(香港)3人、ラトビア人3人となっています。

平成22年の統計から、このレポートでは、覚せい剤密輸犯の増加傾向や末端価格の値下がり傾向や、大麻事犯検挙人員の高水準な推移等から国内における強い薬物需要が伺えるとしています。また、覚せい剤の仕出し国の多様化は麻薬流通のグローバル性を反映しており、日本がその渦の中に巻き込まれているという証拠に他ならないと思います。(円グラフ、スキャンコピー参照)

薬物に起因する事故での乱用死者数の中で、交通事故が最も多く、これは他の人たちを巻き込むので薬物問題が社会的に対処されなければならないという認識を強めるものです。(表、スキャンコピー参照)

又、厚生労働省 医薬食品局 監視指導、麻薬対策課 「薬物乱用の現状と対策」平成22年10月 によれば、

グラフによる覚せい剤犯罪者と再乱用者の推移(過去10年間)をみると、再犯率は上がっており、覚せい剤使用者は減らないということが暗に示されています。

取締りの対象となる薬物には次のようなものがあります。(スキャンコピー1&2参照)

しかし、禁止されている薬品とはわずかに一箇所だけ科学式上の構成が異なり違法にはならないデザイナードラッグと呼ばれる化学合成剤が次から次へと作られ密売されるということが、世界中で行われています。そのなかでも今アメリカで最も新しいのはBath Salt で薬品ではなく、お風呂に入れる塩として売られているもので、現在このBath Salt による事故が多発していることがインターネット上で伝えられています。

上記のように犯罪として発覚したケースは、薬物乱用実情の氷山の一角に過ぎないと考えてよいと思います。世界の麻薬流通が一大産業となっている今、日本だけがそのマーケットから取り残されるということは有り得ません。世界1の麻薬消費国、アメリカなどには程遠いかもしれませんが、日本でも実際には回りに依存症の人がいるの知っている人、依存症の人を抱えているファミリーも決して少なくないようです。そしてこのような麻薬消費者たちは、将来も消費を続ける可能性は大きく、消費者数、依存症者の数はこのままでは増加の一途をたどるでしょう。

上記は犯罪につながって始めて発覚している薬物問題ですが、民間の全国精神科病院調査では、薬物乱用が原因で精神病院に入院通院した人たちは、第1番は覚せい剤で、大麻で病院に来るケースは少ないのですが大麻を乱用したことがある人は多いようです。そして第3番目の薬物は睡眠薬です.覚せい剤と違って、大麻や睡眠薬は事件になったりする可能性が少ないので公的な数字にはなかなか出てきません。これらの数字からはどれだけ依存症がはびこっているかを把握するのは難しいかもしれませんが、インターネット上で薬物を手に入れることがますます容易になっている状況から依存症が増えやすい環境がますます整っているとことは確実です。

 

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世界マリファナ事情 (www.barwiredtomusic.com)

 

オランダ、

マリファナ吸飲は、違法であるが、個人使用目的とした5g以下のソフトドラッグ所持、同様のハードドラッグ所持、は通常起訴が猶予される。地方自治体が許可するコーヒーショップでは、マリファナ吸飲が認められている.マリファナ寛容政策により、ヘロインなどのハードドラッグの中毒患者が減少.世界から注目されている。

 

イギリス

2004年大麻の違法薬物としての分類が下げられ、個人使用量の所持は取り締まり対象外。違法ながら非刑罰化。『大麻《クラスC》は疑いなく有害だが、クラスBの薬品非注射の( アンフェタミン等)の薬品に匹敵する危険はない。』2006年ロンドンオリンピックでの大麻容認を当時のスポーツ担当相が訴えている。2009年大麻は再度 クラスBに格上げ。

 

ドイツ

大麻の所持は違法、罰金、禁固刑、ただし、個人使用のための少量所持は起訴されない。

 

ベルギー

少量所持を容認する法案が再可決を待っている状態。暫定的処置として、現在少量所持が発覚した場合は口頭注意、大麻そのものは没収しないよう通達されている。

 

イタリア

ラスタファリアン《エチオピアのハイルセラフィ王をキリストの生まれ変わりとする新興宗教《ジャマイカ》 マリファナを使う。

彼らの大麻所持を認めている。

 

 

ポルトガル

2001年大麻及びその他の軽微なドラッグ《ヘロイン、コカインなど》を非犯罪化。政策は成功

 

ロシア

医療目的の所持、使用を容認  6グラム以下は合法的に所持可能、20グラム以下の所持は刑罰の対象とならない。

 

アメリカ

連邦法、所持は全て違法.Calif, New York  他13州《マサチューセッツが最近》で、1オンス(28g)の所持は非犯罪化。医療大麻法は、1996年カリフォルニアで始まり、14州にある。

 

カナダ、医療目的の大麻栽培、所持、使用は合法化されている。カナダ保健省は、処方箋のある患者への販売実施 世界始めての医療費控除制度を導入。

 

オーストラリア

西オーストラリア州、他一部地域で少量所持、栽培が非犯罪化

 

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世界コカイン情勢

 

アヘンに関しては、日本の深い関わりも含めてアジアを中心とする歴史を紹介しましたが、コカインに関しては、生産地が南アメリカで比較的最近になって世界の違法薬物に仲間入りしました。現在主要な違法薬物のひとつとなっているコカインの現況が国連の担当事務局により詳細にわたり報告されています。

以下は、2011年4月の薬物と犯罪に関する国連事務局の「大西洋をまたがるコカインの市場」と題する調査報告書によるものです。

1998年には、アメリカのコカイン消費に比べヨーロッパの消費量はその4分の1でしたが、10年後には互角かそれ以上となっています。アメリカ合衆国の消費額が 3700万米国ドル に対しヨーロッパは3300万米国ドル の消費高で、しかもこれらの消費者はほぼ3カ国、英国, スペイン、イタリアの居住者でそれに、ドイツ、フランスが入って80%を占めています。1998年から2006年の間に押収されたコカインの量は121トンと相当な量に及び、2009年には大きく減少して53トンとなりました。しかし、コカインの値段が上がることもありませんでした。これは、市場に何らかの違う方法で十分な供給が保たれていることを意味します。

過去10年の間、船や港でコカインが押収されましたが、商業用の飛行機を買い取り空路でウェストアフリカから西部、北部ヨーロッパに運ばれたりしていました。その他コンテイナーでのシッピングもなされているようですが、最近では発覚したケースは少なくなっています。

最近差し止められた南米からのコンテイナーは行き先が、ナイジェリア、ガーナとなっていました。コカインのヨーロッパへの密輸は、依然コロンビアの犯罪組織が取り仕切っているようですが、国内の流通はいろいろな外国人の手になるようです。

コカインの影響は健康上のほかに、コカインからの資金による暴力行為、政治上の腐敗などもあります。

第2次世界大戦以後、1990年代まで、世界のコカインは、ペルーとボリビアで栽培され、コロンビアで精製されたコカインにされていました。ペルーとコロンビアのつながりが崩されると、ペルーでのコカイン生産は減りましたが、代わりにコロンビアでコカが栽培されるようになりました。2000年にはコカイン栽培面積総量の3分の2がコロンビアでした。しかし、2000年から2009年の間にペルーとボリビアでの生産が再度増加して自分たちで精製も行うようになりました。しかし、コロンビアでの生産が減ったため全体量としては28%減となりました。

しかし、アメリカに密輸されるコカインの95.5%がコロンビアから出荷されており、残りはペルーが2%と少ないのに比べ、ヨーロッパの場合は、コロンビアだけでなく、ペルー、ボリビアからも入っていますが、コロンビアにリンクする国から入っているものが、2008-2010年の調べでは68%にのぼりまし。

現在コカの栽培は減少していますが、世界のコカイン消費者数は増えており、2009年の調べでは、1400万  から2100万 の人が前年中に少なくとも1回は消費しているという結果が出ています。

アメリカでは、2006年から急激に消費が減っています。それは、メキシコのチェインサプライが崩れたこと、アメリカ国内での取締りが強化されたことが挙げられます。しかしその反対の傾向がヨーロッパで見られます。

ストーニーブルック大学で、ラテンアメリカ研究に携わるポール グーテンバーグ(Paul Gootenberg)教授は、著書 “Andean Cocaine: The Making of a Global Drug”(アンデス地方のコカイン、グローバルな薬物のなるまで、)によれば、「コカインは合法薬物として1920年代から第2次世界大戦末期まで売られていました。しかし1945年アメリカがプレッシャーをかけてコカインを違法薬物にしました。」とあります。

ここまでくればもう以前に違法薬物にすることによって供給が有れば需要もあり陰で莫大な現金が浮き上がってくることはアメリカ特にCIAは周知のことです。

1969年-1974年のリチャードニクソンによるマリファナとヘロイン産業をつぶすための対策が、違法コカインのマーケット進出に大きく扉を開くことになりました。ニクソン政権の前までは、コロンビアはコケインビジネスにはかかわっておらず、1970年代になるまで、チリー人とキューバ人がコカインの密輸を行っていました。しかし、1973年にアメリカの援助でチリーの民主選挙で選ばれたサルバドールアレンデ政権が倒されると、にわかにコロンビアの密輸組織が舞台に躍り出てきました。

以来、合衆国は密輸防止対策を立て供給源をターゲットにコロンビアやメキシコなどの密輸業者に焦点を当てましたが、その結果メキシコなどの密輸組織の間で悲惨な殺戮事件が引き起こされたりしている一方、コカインの供給量は減少することなく、消費者は世界中に広がり、コカインの値段は取締りによって急騰することも無く、2007年一度上がりましたがそれ以降は下がり続けています。1905年コカインが合法薬物だった時代のピークの生産量にくらべ、1400トンという14倍もの量に膨れ上がっています。

コロンビアは最初は1960年代の中、後期にアメリカ合衆国の需要に応えてマリファナ栽培で違法薬物産業界に登場、1970年代には、アメリカのマリファナ需要への最大の供給源となりました。市場は未だほとんどメキシコ人たちの手に握られていましたが、1970年初期にアメリカがメキシコとの国境沿いの取締りを強化し、メキシコ政府も栽培者に対し強硬な政策をとりました。その結果マリファナビジネスの焦点はコロンビアへと急速に移行していきました。コロンビアのカリビアン沿岸地帯はこのビジネスで潤い、所謂全うなビジネスである、ホテル、銀行、航空会社、レストラン、カジノなどがマフィアにより薬物利益のマネーロンダリングに使われるようになりました。

コロンビアのコカインビジネスはマリファナビジネスと同じ足跡をたどって広がりました。チリーの製造密輸組織が政権交代で足場を失うと、コロンビアのシステムに吸収され、1970年代中期までには、コロンビア人2名がコロンビアの犯罪組織と共同で空輸による大々的な密輸を行う組織を作り上げていました。

マリファナによる利益はカリビアン沿岸を潤しただけでしたが、コカインの利益は首都ボゴタに達し、政治的にも力を持つようになりました。しかしコカインは政治的経済的腐敗、殺人を含む暴力をコロンビアに招いただけではなく、密輸用の上質に達しない質の悪いコカインが国内で安く売られ、慢性の精神障害を伴ったコカイン依存症者を何十万人も作ってしまっています。

しかし、コロンビアの空の密輸は1980年代中ごろのレーガン政権時代、コカインがコロンビアから大量にロスアンジェレスに入りその利益がニカラグアのゲリラの武器を購入するのに当てられたことが、新聞で暴露されたことが有りました。そのころから、メキシコの陸路は重要な役目をするようになります。メキシコは、3,160キロメートルに及ぶ国境線をアメリカとの間に持ち、一日平均69万人が行き来しています。そして麻薬密輸組織の主な拠点となっているのは、カリフォルニア州サンディエゴに隣接するティワナ、テキサス州ブラウンズビルに近いマタモスです。この拠点地域で2006年から2010年までの4年間で、約2万8千人が麻薬関連事件で殺害されたとのことです。

2012年、1月19日に最新化されたニューヨークタイムズの記事によれば、1月のメキシコ政府の発表では2006年メキシコのフィリペカルデロン大統領が2006年麻薬犯罪組織に対する麻薬戦争を宣言して以来、47,515人が麻薬関連で殺害されているとのことです。2010年に比べ2011年の薬物関連殺人増加率は11%でそれ以前の増加率に比べて減少していると述べています。

麻薬密輸の利益の取り合い、利益によるアメリカ製の武器の購入、それを使用して殺人を行う犯罪組織、メキシコでもヘロインの場合と同じ悪循環が起きています。

 

 

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法的麻薬使用における問題

 

合法的麻薬の普及状況に関し、国連世界保健機構(WHO)の最新のレポート(2011年)によれば、

鎮痛剤として医療に使われているモルヒネは、2003年の調べでは、その消費量の79%が先進国6か国で消費されています。 発展途上国の人口は世界の人口総数の80%を占めています。ソシテこれら世界人口の80%に消費されている医療用モルヒネは全消費量の6%に過ぎません。 国により医薬品に対する知識が足りなかったり、国の政策や方針が国際基準より厳しかったり、また国により認められる必要量の規定が輸入の妨げになる場合や、麻薬や向精神剤は輸出入の許可システムが煩雑なため、調達が難しいということなどがあります。(WHO 2011年報告書)

 

上記によればこれだけ不法薬物が世界に出回っているのに合法的な用途のために必要としていても国によってはなかなか手に入らないという矛盾した状況が存在しています。

 

日本では、マリファナの医療分野での使用を合法とみなしてほしいとの要求を掲げて裁判が行われていますが、マリファナは、ヘロインやモルヒネなどと異なり、依存性と耐性がほとんどなく、毒性も低いことがWHOやアメリカの国立研究所などの調査結果で出ています。厚生労働省は依存性と耐性がはるかに高いモルヒネを鎮痛医療にもっと使うように通達を出しています。ここに矛盾を感じる人たちが法の改正を求めているようです。

 

安楽死の概念に基づいた麻薬乱用の問題は、法律的には問題ない形で病院等の医療施設で起こる可能性がある、倫理的な観点を絡ませる問題なので、指摘することが難しい問題です。しかし、治癒不可能な病からくる痛みを和らげることと人間としての尊厳を失わずに死を迎える事のバランスをどう誰が決めるのか、これから高齢者社会になるにつれ取り上げられていかなければならない重要な問題だと思います。

 

                                                              以上